他殺された友人との向き合い方
こんにちは。
私の友人が他殺で亡くなりました。
その方とは、ネット上での繋がりしかなく電話もしたことはありませんが。チャットで3年間ほど毎日連絡を取り合う仲でした。
ある時、わたしは卒業論文の執筆が忙しくなってしまい、返信が滞る時期があったのですが、その方は安否確認のためにもメッセージをくれる優しい方でした。
しかし、それにも関わらず再度連絡を1週間ほどまた無視してしまいました。
1週間ほど経った時に、その方の住んでいる地域で殺人事件があり、安否確認のために連絡を入れました。その時には既読が付いたのですが、返信はなく、
生きていることは確認できたのですが、嫌われてしまったんだと思いそこからは忘れて暮らしていました。
しかし、事件から数年経って最近その方が夢に出てきて近況が気になったため検索をかけて見ると私が危惧していた事件に巻き込まれて亡くなっている事がわかりました。
ここまでが経緯です。
わたしは嫌われたと思い、長い間記憶から消して過ごしてしまったこと。
ずっと頼りにしてくれていたのに、最後の最後で自ら連絡を切ってしまい、そのまま亡くなってしまったこと。
この2つの後悔が頭の中をぐるぐると周り続けて忘れられません。
また、友人は苦しい生活を乗り越えてやっと少し楽な生活が出来そうになった所でかなり若くして亡くなったため、苦労だけして亡くなってしまったように感じ、全てが水の泡と化してしまったような気もしていたたまれません。
さらに、犯人は既に亡くなっているため恨みのぶつけ方もなく、気持ちの行き場もありません。
その上、友人とはネット上での関係しかなかったため、お墓参りをして友人の死を目の前にすることで受け入れたいのですが、それも叶いそうにありません。
長々と書いてしまいましたが、すごく親しかった友人なのですが、後悔する点が多く、また、死を受け入れたいのですが脳での処理しかすることができず、モヤモヤした気持ちが続いてしまいます。
友人の死とこれからどのように向き合うべきでしょうか。
友人の死を乗り越えて、これまでの暮らしに戻るためにはどうしたら良いでしょうか。
拙い文章で、分かりにくい部分が多々あるかと思いますが、よろしくお願い致します。
大学院生
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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お悔やみ申し上げます
ご相談拝読しました。
リアルでの繋がりはなくとも、三年間もやり取りをされた方の死というものは大きな喪失感であるとお察しします。ご友人のご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。
お話をお伺いした限りでは、ご友人のご生涯は多難なものであったようですが、その人の人生の意味や価値を他人が計ることはできません。
しかしながら「あなたにとってのご友人の死」はあなたの問題です。そこを受け止めるためには何らかなの身体的な体験も必要されているようにお見受けします。
考えられる方途としては
①あなたのご実家の菩提寺(お手次寺)に事情を話して読経・供養していただく。
②お近くのお寺でそうした供養を受け付けているところにお願いする。
③お近くのお寺で誰でも事由に参拝できるような所があればご本尊に手を合わせてお線香をあげてくる。
④あなたのご自宅でご本尊(仏像や仏の絵像)を購入しご友人を思い手を合わせる。
まあ色々考えられるわけですが、一番取り入れやすいのは④でしょう。しかしその場合はその後の処理というか、気持ちが落ち着いた後は購入したものの処分に困るということも考えられます。気持ちに区切りをつけるという意味でもご自宅から外に出る行為の方が求めるような体験を得やすいかもしれません。その点は色々とお考えください。
いずれにしろご友人の死という喪失体験を一過性のものとしてしまい、なんらかの方途で落ち着いたらもう無かったことにしてしまうのではなく、あなた自身もいつか死にいたる限りある命を生きていることを受け止めさせていただくご縁として、これからもいただいていかれてはいかがでしょうか。
死はけして暗く悲しい避けるべき問題というだけのものではありません。そのようなイメージだけではますます自らの死も怖くなるばかりです。
形あるものが形を卒業して無限なる世界に解き放たれていく。この度のご縁を通してそうした豊かな死生観を育まれることを念じます。