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魂や死について

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 二回目の相談になります。宜しくお願いします。
 前回は、将来の衰えや死について想像してネガティブ思考が突然大爆発を起こしてパニック状態になって思い切り体調を崩していました。
 今はこのサイトのお坊さんや色んな方からのアドバイスを受けて気持ちが改善に向かっています。ありがとうございました。
 今回は「魂」についての話です。
 死や魂についての相談は様々な掲示板で見る事が出来て、その回答に「身内やペット達とも魂は繋がっているので死後また会える」「今は魂が肉体に入っている状態で、肉体が亡くなったら魂は別の世界に行く」というものがあり印象的でした。
 「今生きてるのは魂の修行中で、その様子を別世界のもう一人の自分が眺めている」という方も居ました。
 「どうせみんなまた会えるんだし、怖がっていないで今を精一杯楽しく生きよう!」という話もあり、自分はこの話が心に響いて気持ちの切り替えが以前よりも大分スムーズに出来るようになりました。
 様々な創作物や海外の番組等でも、魂やあの世という考えが見えて(海外作品の場合は日本語訳)、そういうものなんだなぁと考えると少し気が楽になります。
 そこでふと思うのですが、私は巷で言われている心霊現象というものを体感した事が無いです。(守護霊が強いので守ってもらっているので感じずに済む、というお話を色んな方から頂きました)
 周りの人が「今何かの霊が通った気がした」「存在を感じた」と言っても私は体感した事が無いのでいまいちピンときません。
 神社が近くにあるので気軽に挨拶をしたり家の神棚掃除やお供えをしたりというのが昔からの習慣で、だらだらではなく信仰というか真面目に見返りを求めず感謝の念を今でも伝えています。神社などはそういう現象を感じる機会の多そうな場と思いますが、明確な感触というのは特にないです。手水を取って挨拶をしてスッキリ爽やかな気持ちにはなります。
 実は私が感じていないだけで周りに存在しているのかなと考えたりもします。周りの人たちからそう教わったりもします。
 いわゆる「霊感のある人」は、魂やあの世の存在を感じていたりするのでしょうか?
 そんなの根拠が無いし存在しない、という考え方も理解できます。
 普段、色んな方の霊、魂、あの世に関する考えを聞く機会が無いので、お話を聞きたくて投稿させて頂きました。
 宜しくお願いします。

2023年3月28日 8:08

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

目には見えなくても存在します

拝読させて頂きました。
あなたが心から魂や死について思い巡らされておられることを読ませて頂きました。あなたがその様にご関心を持つことはとても素晴らしいことです。ぜひこれからの人生にてしっかりと魂や死について真正面からお向き合いなさり毎日を本当に心豊かに生きて頂きたいと切に願っております。

私達の周りにありとあらゆるところに魂、心はあります。私達には見えなくても、感じることができなくても、全く意識できなくてもあるのです。

私達の身体は様々な巡り合わせを経て与えて頂いたものですし、この時この人生の間に与えられた仮の宿の様なものです。いずれは様々な巡り合わせの中で身体は病いや老化現象等によりその期限を迎えますし、様々な事象により致命傷を受ければ生命維持はできなくなります。そして魂は借宿の身体を離れます。
そして仏様や神様に導かれ親しい方々やご先祖様に迎えられてこの世を離れていくのです。そして仏様の浄土へと導かれて心安らかに何の憂いもなくなり成仏していくのです。

或いは身体を失ってもそこに執着する心があればそのまま漂うのです。魂は迷い苦しみの中にいてその執着心から貪りや怒りや憎しみや怨みや呪いや殺意や愚かさにとらわれてしまうことです。
そうしてしまうと生まれ変わり死に変わりを永遠に繰り返していくのです。

仏教の教えとは自分自身を含めてその様なものごとにとらわれずに手放していくことです。

あなたのお考えはいかがでしょうか?

あなたがこれから仏教とのご縁に恵まれてあなた自身の人生を様々な災いにとらわれることなく心から豊かに充実した毎日を生き抜いていかれます様にと心から祈っております。

お返事ありがとうございます。あなたがその様な思いを抱いて作っておられることはとても素晴らしいことだと私は思いますよ。どうかこれからもその思いや様々なご縁を大切になさって下さいね。あなたが受け継いでいけます様にと心より祈っております。

2023年3月28日 21:08
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
 こういう話を友人知人にしたら変に心配されたり引かれてしまうと思い話せずに居て自分の中で詰まっていたので、回答を頂けて嬉しいです。
 死や魂についての知識が全く無いのでネガティブな想像が膨らんで不安や恐怖心が強くなって立ち止まってしまう事もありましたが、お坊さんや周りの色んな方たちから「また会える」と言って頂けて、以前よりは不安や恐怖は和らいだ気がします。
 ここから私のオタク話になります。
 私は未熟な初心者ですが漫画イラストの自創作を行っていて、数十年前から全く色褪せずに心の中に居る人物を描いています。心の中のその人物を表現したいという思いが非常に強いので自創作活動をしている感覚です。
 昔他の誰かが世に出したキャラクターが心に残ってモノマネから始めましたが、それがスイッチになったのか、自分の中に人物イメージが湧くのを感じてそれから完全オリジナルの人物を数十年ずっと描いています。別の方の作品から刺激を受けて思い出した自分の魂の一部なのかなと思います。
 他の方がこの投稿を見たら気味悪く異常に感じるかもしれませんが、私は大真面目です。
 執着というお言葉を頂いて
 「「今描いている漫画が完結せずに亡くなってしまったら悔しい」「この人物の魅力を世に伝え切れないのが悔しい」という思いが強くなり魂が現世を彷徨ってしまうのではないか」
 とも思いましたが、世に発表せずともこの人物の存在自体は自分の心の中に感じているので、この人物も自分の一部として一緒にあの世へ行くのかなと思うと今のこの世に出さなければという執着も薄れる気がします。だからといって活動は辞めませんが。
 あの世で親しい人たちだけでなくこの人物とも会えるのではないか、と想像すると気持ちが少し和らぐ気がします。というか不謹慎とは思いますが、楽しみに感じてしまいます。(早く会いたいから自死という考えは無いです)
 今は肉体があるので、両親やペット達や自分自身の肉体の衰えや亡くなる瞬間を今現時点で想像すると恐怖、不安、孤独感、が増大して不調になりますが、「また会える」と思って乗り越えて行けたら、と思います。
 自創作活動も「漫画を完結させなければ存在は無い」と焦っていたものが、「自分の出来る範囲で完結を目指そう、この世に出せるものを出そう」という思いになりました。この世に出せなくても自分の魂の一部だと感じるので存在はする、という考えです。
 他の方たちからは変人に見えると思いますが、こういう考えを持つ人間も居るというのを知って理解して頂けたら幸いです。(価値観を他人に押し付けたりはしません)
 相談しなければこういう思いに気付けなかったので、本当に相談して良かったです。ありがとうございました。一生懸命頑張ります。
 長文失礼しました。

「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

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「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 2
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病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

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死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 14
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