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魂や死について

回答数回答 1
有り難し有り難し 4

 二回目の相談になります。宜しくお願いします。
 前回は、将来の衰えや死について想像してネガティブ思考が突然大爆発を起こしてパニック状態になって思い切り体調を崩していました。
 今はこのサイトのお坊さんや色んな方からのアドバイスを受けて気持ちが改善に向かっています。ありがとうございました。
 今回は「魂」についての話です。
 死や魂についての相談は様々な掲示板で見る事が出来て、その回答に「身内やペット達とも魂は繋がっているので死後また会える」「今は魂が肉体に入っている状態で、肉体が亡くなったら魂は別の世界に行く」というものがあり印象的でした。
 「今生きてるのは魂の修行中で、その様子を別世界のもう一人の自分が眺めている」という方も居ました。
 「どうせみんなまた会えるんだし、怖がっていないで今を精一杯楽しく生きよう!」という話もあり、自分はこの話が心に響いて気持ちの切り替えが以前よりも大分スムーズに出来るようになりました。
 様々な創作物や海外の番組等でも、魂やあの世という考えが見えて(海外作品の場合は日本語訳)、そういうものなんだなぁと考えると少し気が楽になります。
 そこでふと思うのですが、私は巷で言われている心霊現象というものを体感した事が無いです。(守護霊が強いので守ってもらっているので感じずに済む、というお話を色んな方から頂きました)
 周りの人が「今何かの霊が通った気がした」「存在を感じた」と言っても私は体感した事が無いのでいまいちピンときません。
 神社が近くにあるので気軽に挨拶をしたり家の神棚掃除やお供えをしたりというのが昔からの習慣で、だらだらではなく信仰というか真面目に見返りを求めず感謝の念を今でも伝えています。神社などはそういう現象を感じる機会の多そうな場と思いますが、明確な感触というのは特にないです。手水を取って挨拶をしてスッキリ爽やかな気持ちにはなります。
 実は私が感じていないだけで周りに存在しているのかなと考えたりもします。周りの人たちからそう教わったりもします。
 いわゆる「霊感のある人」は、魂やあの世の存在を感じていたりするのでしょうか?
 そんなの根拠が無いし存在しない、という考え方も理解できます。
 普段、色んな方の霊、魂、あの世に関する考えを聞く機会が無いので、お話を聞きたくて投稿させて頂きました。
 宜しくお願いします。

2023年3月28日 8:08

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

目には見えなくても存在します

拝読させて頂きました。
あなたが心から魂や死について思い巡らされておられることを読ませて頂きました。あなたがその様にご関心を持つことはとても素晴らしいことです。ぜひこれからの人生にてしっかりと魂や死について真正面からお向き合いなさり毎日を本当に心豊かに生きて頂きたいと切に願っております。

私達の周りにありとあらゆるところに魂、心はあります。私達には見えなくても、感じることができなくても、全く意識できなくてもあるのです。

私達の身体は様々な巡り合わせを経て与えて頂いたものですし、この時この人生の間に与えられた仮の宿の様なものです。いずれは様々な巡り合わせの中で身体は病いや老化現象等によりその期限を迎えますし、様々な事象により致命傷を受ければ生命維持はできなくなります。そして魂は借宿の身体を離れます。
そして仏様や神様に導かれ親しい方々やご先祖様に迎えられてこの世を離れていくのです。そして仏様の浄土へと導かれて心安らかに何の憂いもなくなり成仏していくのです。

或いは身体を失ってもそこに執着する心があればそのまま漂うのです。魂は迷い苦しみの中にいてその執着心から貪りや怒りや憎しみや怨みや呪いや殺意や愚かさにとらわれてしまうことです。
そうしてしまうと生まれ変わり死に変わりを永遠に繰り返していくのです。

仏教の教えとは自分自身を含めてその様なものごとにとらわれずに手放していくことです。

あなたのお考えはいかがでしょうか?

あなたがこれから仏教とのご縁に恵まれてあなた自身の人生を様々な災いにとらわれることなく心から豊かに充実した毎日を生き抜いていかれます様にと心から祈っております。

お返事ありがとうございます。あなたがその様な思いを抱いて作っておられることはとても素晴らしいことだと私は思いますよ。どうかこれからもその思いや様々なご縁を大切になさって下さいね。あなたが受け継いでいけます様にと心より祈っております。

2023年3月28日 21:08
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
 こういう話を友人知人にしたら変に心配されたり引かれてしまうと思い話せずに居て自分の中で詰まっていたので、回答を頂けて嬉しいです。
 死や魂についての知識が全く無いのでネガティブな想像が膨らんで不安や恐怖心が強くなって立ち止まってしまう事もありましたが、お坊さんや周りの色んな方たちから「また会える」と言って頂けて、以前よりは不安や恐怖は和らいだ気がします。
 ここから私のオタク話になります。
 私は未熟な初心者ですが漫画イラストの自創作を行っていて、数十年前から全く色褪せずに心の中に居る人物を描いています。心の中のその人物を表現したいという思いが非常に強いので自創作活動をしている感覚です。
 昔他の誰かが世に出したキャラクターが心に残ってモノマネから始めましたが、それがスイッチになったのか、自分の中に人物イメージが湧くのを感じてそれから完全オリジナルの人物を数十年ずっと描いています。別の方の作品から刺激を受けて思い出した自分の魂の一部なのかなと思います。
 他の方がこの投稿を見たら気味悪く異常に感じるかもしれませんが、私は大真面目です。
 執着というお言葉を頂いて
 「「今描いている漫画が完結せずに亡くなってしまったら悔しい」「この人物の魅力を世に伝え切れないのが悔しい」という思いが強くなり魂が現世を彷徨ってしまうのではないか」
 とも思いましたが、世に発表せずともこの人物の存在自体は自分の心の中に感じているので、この人物も自分の一部として一緒にあの世へ行くのかなと思うと今のこの世に出さなければという執着も薄れる気がします。だからといって活動は辞めませんが。
 あの世で親しい人たちだけでなくこの人物とも会えるのではないか、と想像すると気持ちが少し和らぐ気がします。というか不謹慎とは思いますが、楽しみに感じてしまいます。(早く会いたいから自死という考えは無いです)
 今は肉体があるので、両親やペット達や自分自身の肉体の衰えや亡くなる瞬間を今現時点で想像すると恐怖、不安、孤独感、が増大して不調になりますが、「また会える」と思って乗り越えて行けたら、と思います。
 自創作活動も「漫画を完結させなければ存在は無い」と焦っていたものが、「自分の出来る範囲で完結を目指そう、この世に出せるものを出そう」という思いになりました。この世に出せなくても自分の魂の一部だと感じるので存在はする、という考えです。
 他の方たちからは変人に見えると思いますが、こういう考えを持つ人間も居るというのを知って理解して頂けたら幸いです。(価値観を他人に押し付けたりはしません)
 相談しなければこういう思いに気付けなかったので、本当に相談して良かったです。ありがとうございました。一生懸命頑張ります。
 長文失礼しました。

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