死産(中絶)後の乗り越え方について
第2子を妊娠6ヶ月(21週)で亡くしました。
原因は私の体質によるものでお腹の子は順調に育ち亡くなるその日もとても元気でした。
第1子とは年子になるため、妊娠中は休息もままならず動きっ放しの日々ではあったものの身体の不調もなく過ごし、安産祈願を終えた翌週、下半身に違和感を覚えたときには既に子宮口が開き胎児を覆う袋(胎胞)が体外に晒されている状態で緊急入院することに。
医師からの説明を受け、時期的なものやこれから起こり得るリスク等を考慮して夫婦で話し合った結果、妊娠を中断することになりました。
産まれてきた我が子がとても愛しく、つらい出来事に今でも自身を責めては泣く日も少なくありません。
その時の最善を尽くしての決断だったと気持ちの整理はできているつもりでも、やはりタラレバの欲が出てしまいます。
私は、起きてしまった事はそこから何を学ぶべきかを考えるような性格で今までもポジティブに転換しながら乗り越えてきました。
今回の妊娠もこの先もっと危険な事が起きていたかも知れない、家族に迷惑をかけないよう母子ともに一番良い状態でお別れを選んでくれたんだと考える反面、私の身体(体質)に命を宿さなければ無事に産声をあげていたのかと思うと心苦しくてなりません。
お腹の子を失い悲しい淋しい悔しい、この気持ちに対して何かお導きはありますでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
導いてくださるのは、他でもない、亡き子。尊い いのちに感謝を
大事な命の問題だから、たくさん考え悩まれたことだろうと思います。あんなことがなければ〜と、戻れない日を思っては、今どうしているのと命を訪ねてしまう。あなたの中で、確かに生きてくれた子ですものね。あなたを母にしてくれた。身体で感じ、一緒に生きてきた子ですものね。
その存在を忘れたくないですよね。
私は、死産の子も、名前をつけさせていただき、お仏壇で手を合わせるように伝えています。その存在をちゃんと想えるように。
生まれてこなかった子ではなく、先に仏様の世界へ生まれていってくれた命であり、先祖さまなのですからね。
今いてくださる お子さんにも、伝えていきましょう。守ってくれる仏様になってくれたんだよ と。
導いてくださるのは、他でもない、亡き子です。あの子のおかげで、手を合わせる私に、なされてもらえた。尊い いのちの子ですよね。手を合わせる先に、いつでもずっと親子なのですよ。
合掌
質問者からのお礼
温かいお言葉をありがとうございます。
拝読すればするほど涙が溢れ言葉の整理に時間を要しておりました。
御礼が遅れましたことお許しください。
確かに、お陰様でこれまで以上に今いる家族を想い、手を合わせる機会が多く設けられていると感じております。
これからも家族としてずっと心を寄り添えて過ごしていきたいと思います。
ありがとうございました。