いじめや虐待を許す方法
人のこころや日常を壊しておきながら、なおあいつは頭のおかしい奴だとばかにして、自分たちはまともだと平気で日常生活を送るやつら。ころしてやりたい。どうすればいいですか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
許せなくていい。悔しければ一緒に怒ろう悲しければ一緒に泣こう
今までの質問も読ませてもらいました。
あなたが今までに受けてきた暴言イジメや虐待に、ずっと苦しんできたのですね。
あなたの心身に暴力を振るってきた者が、平気な顔をしてのうのうと生き、あなたは深く傷ついたまま。こんな理不尽なことはありませんよね。
人の気持ちにも寄り添えず、苦しめている者こそが愚か者なのです。頭がわるいと言うならば、自らのことだと、気づきもしないのでしょう。哀れな人たちですよね。
そんな者を、許す必要などないのですよ。
殺してやりたいと思うくらいに、悔しくて腹立たしいですよね。
あなたの気持ち、仏様がちゃんと見ていてくださいますよ。聞いていてくださいますよ。
どんなに、辛いだろうと包んでくださいますよ。
だから、許せなくていい。
悔しければ、ここで一緒に怒ろう。
悲しければ、一緒に泣こう。
私は、あなたの味方でいたいわ。
怒りを捨てること
地獄や仏の世界は、死んだ後に顕れるのではありません。生きている瞬間瞬間に代わる代わる顕れるものです。殺してやりたい、そう思うあなたの心の中は地獄や修羅の世界でしょう。
腹が立つのもわかります。けれど、あなたがわざわざ地獄に落ちなくてもいいでしょう。
殺さなくても、いずれ誰しも死にます。
そして、犯した罪は、必ず報いとなって返ってくるものです。
「三世両重の因果」といいましてね、現状は過去世の行いに依るものであり、今の行動は来世に顕れるものです。
誰かを傷つけて平気な顔でいても、どこかでその報いを受けることになるでしょう。
あなたも怒りに飲み込まれてしまわないように。
我々の魂には「仏種(ぶっしゅ)」があります。誰にでもあります。善い行いをして、それを糧として、種は花開き、仏となるのです。
怒りに身を任せるのは「焦種(しょうじゅ)」と言って、種を焼いてしまうことに繋がります。
どうか心穏やかに。あなたが怒らずとも、仏様はちゃんとご覧になっているのだから。
質問者からのお礼
日延様、中田 三恵様、
お礼が大変遅くなってしまいましたが、ご回答ありがとうございました。
自分が傷ついていたことに気が付いてから、怒りに吞み込まれないように…誰も傷つかないように、迷惑にならないように、存在してもいいように振る舞うことも難しくなってしまいました。
それでも生きていれば、いつか心穏やかに過ごせる日が来るのかもしれないと思いずっと耐えて生きてきましたが、なんだか疲れてしまいました。
自分の人生には無縁なのかもしれないです。ごめんなさい。