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自分が一番苦しんでいると思ってしまいます

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有り難し有り難し 20

僧侶の皆様、いつもお世話になっております。皆様がお元気でいらっしゃれば良いなと思っております。

この度は、自分の心のあり方についてお尋ねしたく存じます。

タイトルの通り、私は「一番苦しんでいるのは私」と傲慢なことを思ってしまいます。

仕事柄、御客様の苦しみに近付くよう私なりに毎日努力して参りました。
しかし、身内や友人などに関してはどうか…。
働き過ぎて辛いだろうなどと想像出来ていませんでした。
親に対しても、今どれだけ努力してくれていても、子供の頃のことを思い出して恨んでしまいます。
私は学生の時に発症しましたが、両親は「昔から差別されてきた病院だからもう行くな」と言いました。今でこそ明るい雰囲気のメンタルクリニックが増えていますが、当時は大病院しかありませんでした。
(母の知り合いがその病院で働いていたことと、待ち合い室で大声を出す人が嫌だったようです。)
あの時もっと理解してくれていれば、私は障害など負わなかった、と思ってしまいます。私に子供がいない一番の理由は、それかもしれません。子供を理解出来なければ、命を授かる権利はないですし、私には出来ないと思いました。

しかし両親にも事情があったのでしょう。
詳細は伏せますが、差別をされてきました。
これ以上差別されたくないと思ったのでしょう。
それでも恨んでしまいます。
私は夫の仕事の大変さを理解せず、暴言を吐きました。自分が一番大変だと思っていたからです。

一番苦しんでいるのは自分、という考え・身近な人の大変さを想像出来ない自分をどう変えたら良いでしょうか。
ご意見をお待ちしております。

2023年4月11日 2:59

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人が何かを問題にするその心そのものを問題にすれば道は開ける

たとえば占いの役割はなにか。
優れた占い師であれば、占いというものの本質を知り、人の心をしてより良い心へ向かわしめることです。たとえ自分がえらんだカードがいわゆる不運なものであっても不幸にはさせない。おみくじですら大凶がでれば、それを通して最悪の事態だけは回避しようと慎重になるものでしょう。作用というものの視点を重んじる。
では、あなたの人生の占いにたとえるならば、今まで本当に不運なカードばかり引いてしまったかもしれません。それでも、障がいや身体的な不自由・不都合をお持ちの方でも前向きに生きてパラリンピックに出場される方もおられる。その精神力の強さを学び、心を善導させることであらゆる不運は不幸にならず、不運・不幸となづくる前の一大事実という気づきが起こるのです。
一大事因縁。
人生のすべては一大事因縁なり。
このあなたの心を何とか改善したい、より良い方向に向かわせたい、善導させたいという気持ちも一大事因縁。さらに、大きな志をおこせば菩提心となる。
ここでの学びもきちんと自分の負の反応の習慣に気づけば、それを改める機縁となる。
そのように転ずるのも今日の一大事因縁。
同じ占い師でも、人を不幸に突き落とす輩も多いでしょう。
人は縁の働きかけでその人の心を変えることができるわけですが、なぜ自分の心に自分の心、自分の過去、自分の負の反応を変えることをしない、させないのか。それはあなたにそこのところの気づきが弱いからではないでしょうか?
天気一つでも晴れりゃぁ洗濯物がよく乾いていいねぇ、
曇りなら暑くなくていいねぇ、
雨なら空気が潤っていいねぇと善導するのが人の道でしょう。
では、あなたの過去はかえられないとしても、過去に対する評価、今日過去のことを思い出したときのその一大事因縁をどうより良い心へと転ずるのか。
それがあなたの人生の品格というものなのです。
いつまでも被害者ポジションを保持している心理であると、人は成長がないそうです。
差別された、ひどい目にあった、私は不幸だと言い続けることは心に負の影響力しか生じません。
私だって寺の坊主め、とか体は弱い、死にたくなることもありましたが、そこであきらめませんでした。むしろそれを機縁に仏道を学び、自他をたすけんとの誓願をおこしたのです。どんな不運もより良い心へと転ずること。その志、菩提心が貴女と周りの人を救うカードとなります。

2023年4月11日 6:46
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

そう思うのが私達です

拝読させて頂きました。
あなたは「一番苦しんでいるのは私」と思ってしまうのですね。その様なことを思ってしまう自分は傲慢だとお感じなさっておられるのですね。あなたが今までどの様に生きていらしたのか詳細なことはわからないですが、あなたは今も精神的にもとても辛い思いをなさっておられるのかと想像します。

人間は誰しもが自分が一番ですから自分が辛い思いをしていたら自分が苦しい思いをしていたら自分が一番苦しんでいると思ってしまうものです。ましてや精神的にも追い詰められてきたり追い込まれて生きていれば尚更そういう風に思ってしまうものです。

何で自分ばかりがこんな辛い思いをしなくてはならないのか、何でこんな目に遭わなければならないのかと思うと本当に自分ばかりがと思ってしまうものです。
ですから決してあなただけではないと思います。
人それぞれに育ってきた環境や育てられ方や状況によっても心のキャパシティは違うものです。追い詰められて精神的にいっぱい一杯ならば余計に自分のことをそう思い辛く感じる方はいるのです。

ひとまずそう思ってしまう自分があることを受けとめてみてはいかがでしょうか?そういう自分の心の状態であることを受け入れてみましょう。そしてゆっくりと心を落ち着けてみて下さいね。

それからあなたのことや周りの方々とのことを見つめていきましょう。

そしてあなたのそのお気持ちを皆さんともお話なさってみて下さい。今のご自分のお気持ちを皆さんにお話なさりながら可能な範囲で分かち合っていきましょう。そして皆さんのお気持ちにも耳を傾けてみて下さいね。

あなたがこれからも大切な方々とのご縁の中で心から穏やかに生き抜いていかれます様に切に祈っています。

2023年4月11日 15:37
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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

Kousyo Kuuyo Azuma様
温かいコメントありがとうございます。
返信が遅くなり、申し訳ございません。

私が荒れ果てて、ろくでもない発言をしていると、ある方から(悪気はなかったようですが)「占い師ならこうあるべき」と言われて逃げられ、更に荒れてしまいました。1ヶ月もだえ漸く立ち直りました。その方に言われてしまって、誰にも話せませんでした。

そうですね。私は苦しむ自分を受け入れられていなかったと思います。
次に何かあった時は、まずそれをしてみようと思います。

丹下覚元様

お忙しい中コメントありがとうございます。
耐えきれなくなり、お酒に逃げて、漸く立ち直りました。
負の反応については、本当は自分でも気付いていました。捉え方一つなのに、と…。
もし次に何かあった時は、まず第一に冷静になろうと思います。

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