絶望感でいっぱい
こんばんは。先日こちらで有り難いお言葉を頂き少し気持ちが楽になってきたはずだったのですが、母が亡くなり今日で13日...今日まで母が亡くなったことを受け入れられない自分がいて感情を上手くコントロールできないなりに今日まで過ごしてきました。ですが母の部屋で母がいた時のように過ごしていた時にふと、「あっ、お母さん本当にいなくなってしまったんだ」と現実に引き戻され今まで経験したことのないような悲しさ、寂しさ、絶望感におそわれ息するのがやっとな状態が続いています。外に出ては どこも母と歩いた場所だらけ。自分の感情が全くわからず何をどうしていいかパニックになってしまいおかしくなりそうです。気がつくと「お母さん、お母さん」と口に出しながら泣いてしまっています。知り合いの人達は、悲しんでいると お母さん安心できないよと言い私自身も頭ではわかっているのですが気持ちが全くついてきません。今、苦しくて苦しくてしかたありません。私はやはりおかしいのですか?自分が情けなくてしかたありません。
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子が母親を求めるのは至極当然
リナママさんこんばんは初めまして
武田正幹と申します、よろしくお願い致します
お母様の件、心よりお悔やみ申し上げます。
貴女はどこもおかしくないですよ、子が母親を求めるのは当然で何も変な所は無いのです。
それだけ気落ちするのはさぞかし素晴らしいお母様なのだと拝見しても分かります。
少しキツい事を述べさせて頂きます。心苦しいですがお読みくださいませ。
お母様は今までの様に会話をする事が出来なくなりました。また触れ合うことも出来ません。これは不変というものが無いように全て終わりがある定められたルールなのです。
しかし、貴女とお母様の縁はずっと残ります。触れ合えずとも語り合えずとも貴女の半分はお母様なのです。
日蓮聖人はお手紙で次のように述べております
『私達の五体は全て両親の血肉で私達は両親の分身とも言えます。ですから、私達の行いは即ち両親の行いなんですよ』
貴女が今現在悲しんでいるのはお母様が悲しんでいる事になります。貴女の安心がお母様の安心に…全て貴女の心次第でお母様も救われるのではないでしょうか。
今は沢山泣いて下さい。その涙も貴女の分でもあり同時にお母様の分でもあるのですから。
そして、お母様の為に1つでも何かしてあげたいと思っていただけたならば合掌しご供養をなさってくださませ。それもまた貴女の手とお母様の手が合わさって出来た『親子の合掌』なのですから
ずっと続く強いキズナ
リナママさん、こんばんは。義陽と申します。
お母様のこと本当にお悔やみ申し上げます。リナママさんのご質問を拝読させていただき、私もとても胸が締め付けられる想いでございました。お母様がお亡くなりになられてから日も浅いですね。簡単に自分の感情や気持ちの整理ができないのは、ごく自然なことだと思いますよ。
今はお母様のことをたくさん想ってあげてください。お母様もまたリナママさんやご家族の方とお別れになり涙されていることでしょう。それだけ親子の愛情が優しく温かく深いものだったのでしょう。
「遺体」とは、亡くなった方のからだ。という意味の他に、父や母の残してくれたからだという意味もございます。つまり、自分自身のからだのことで御座います。お母様がリナママさんをこの世に迎えいれる時、死ぬほどの痛みを伴いながら一生懸命産んでくださったことでしょう。
お母様が命をかけて産んでくださったあなたのからだをしっかり大切に育んでいくこと、またお母様がいなければここに自分はいなかったのだという感謝の気持ちを持ってお母様の残してくれたカラダとして、しっかり生きていくことがこれからのあなたの役目であると思います。
お母様はずっとあなたのお側にいます。きっと、あなたが笑えばお母様も微笑んで見守ってくださいますよ。
これからもずっとお母様とリナママさんのキズナは切れずにつながっていますよ。
リナママ様とお母様が共に笑顔になれる日が来ることを心よりお祈り申し上げます。 合掌
質問者からのお礼
武田様、義陽様
お心のこもったお言葉本当にありがとうございます。お二人のお言葉を読みながら母に対する悲しみの涙ではなく、お二人の優しさに張りつめていた気持ちが切れたように感激の涙が止まりませんでした。今、私には誰一人頼れる人がいません。自分自身に限界がきている今、本当にお二人のお言葉に救われました。まだまだ以前のような穏やかな気持ちをもって日々過ごしていくことはできませんが、母が側にいてくれているってことを常に感じ過ごしていけるように努力してけるよう頑張ってみます。
ありがとうございました。