【不満】の定義
不満とは…傲慢、かつ自尊心や虚栄心が無駄に高いろくでなしの心であり。
そして、自身の《9割の満足》で抑えられる【負】の感情なり。
例えばジュースで例えると、コップにジュースを注ぐとする。
それを飲むわけですがその時のジュースのほんの僅かな甘さと美味さに人は満足感を感じるわけです。
ですが、肝心なジュースの入っていた容器には後ほんの少しだけギリギリコップに入り切らなかったジュースが《1割》残っていたのです。
コレが《1割の不満》です。
ですが、殆どの人が「まぁ、いっか」と思い、コップに入った《9割の満足》に浸るわけです。
つまり、《1割の不満》など本来ないにふさわしいし、そんな事でいちいち癇癪起こす様な事ではない。
ですが【世の中、自分の思い通りになる】
【自分は特別だ】
【楽に生きることが賢い判断だ】
【苦しみから逃れる為なら何しても許される】
逆に【自分だけは辛い目にあってる】
と思い上がってるろくでなしはその《1割の不満》にも耐えられないのです。
僅かな不満にも耐えられないから上記の様なことを思い上がることで【不満】とゆう精神的苦痛から目を背けようとする。
だが、それをした途端【不満】は《1割の不満》から《10割》と変わり、思い通りにいかないと【非難(喚く)】【罵倒】【嘲笑】【陰湿な嫌がらせや暴力】をやらかし【不満】から更に背を向けようとドンドン腐っていく。
そんなことしても僅かな【不満】はなくならない、寧ろ更に【不満】が大きくなるだけなのに…
本当にろくでもない。
皆さんはどう思いますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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不満に背を向ける…?
こんばんは。言葉の定義というのは、どこまで行っても言葉の範囲を超えないものですが、少し私なりの整理を。
不満というのは、何らかの状況に対する自分なりの判定、の一つだと思います。つまり、外界と自分の価値観の狭間にあるもの。見え方ですね。
例えば。「とっても良い旦那なんだけど、靴下を脱ぎっぱなしにして洗濯カゴに入れない」という状況に対して、「嫌だな、やってほしいな、不満だな」という。
その解決方法は色々あります。最も簡単なのは、「自分で拾って洗濯籠に入れてしまう」というもの。問題も不満も解決です。
けれどそのようにはせず、「旦那さん、やってよ」と言ったり言い続けたり。挙げ句云々。
さあ、これは「不満から背を向けている」と言えるでしょうか。「自分なりの、あるべき解決方法、に執着している」状態ですから、むしろ自分の不満に振り回されている。操られていると私には見えます。
どうもあなたの定義では、不満が「自分の中に生じている」という視点ではないようですが、如何でしょう。
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ご返信ありがとうございます。さて、今回のやりとりですが、あなたの満足度はどの程度でしたでしょうか?…0%だったかも知れませんね。
返信の中に「不満の根源」という新しいワードが出てきていますが、これと不満を分けて考えてみよう…というのが今回の私の趣旨です。「誤解を招く言い方を…」というご感想ですが、これが出ているということは、あなた自体「自分の意見を100%同意して欲しい」という願いを持っていると感じるのですが、如何でしょうか。そういった、ご自身の心のありように向き合う機会になれば良いのですが。
私たち不満族
日本テーラワーダ仏教協会のアルボムッレ・スマナサーラ長老の著者に「私たち不満族 満たされないのはなぜ?」という本があります。
電子版も出ているので読んでみてはどうでしょうか。
質問者からのお礼
《不満に背を向ける》とゆうのは《不満の根源と向き合わず、陰湿な暴力や嫌がらせと言った卑怯な方法で解決しようとする》
ーっとゆう意味です。
誤解を招く言い方してすみませんでした。
私からすれば…不満と言った精神的苦痛は外部から来て、そして、その理不尽と言うまでもない苦痛に耐えられない。
【人間の心の弱さが原因】
だと、思っています。
先程も説明した様にコップに入りきらなかった僅かに残ったジュースに対して「まぁ、いっか」ですみそうなことを癇癪犯して喚き散らすような輩はろくでなしです。
そんなことしてる暇があるならさっさとコップのジュースを飲み干して、残った1割のジュースを入れられるようにしろというはなしです。
僅かな【不満】をも我慢できない【心の弱い】人間はそれが出来ないから、嫌になります。
あと、返信ありがとうございます。
感謝の気持ちが送れて申し訳ありません。