役立たずをやめたい
わからないことをわからないって言えません
わからないことに気付いていない、頭の中でふわっと理解できたらそれで分かった気になっちゃいます
それと、わからないと言われてどうしてこんなこともわからないんだという目で見られるのが怖いからです。
昔色んな人にそういう風に言われたり役立たずとして扱われてきたので、無意識にわかったフリがクセづいてしまいました。
最近はミスや時間が守れないことも多く困っています
昔一度鬱病になってから、唯一の取り柄だと言われていた忍耐力も無くなりました。大きい音や怖い声を出されるとすぐ泣いてしまいます
昔は我慢のできたことも今では我慢せず癇癪を起こしたり泣いたり傷ついたりしてしまいます。
昔押し殺せたものが押し殺せなくなりました。
このままじゃなにもできません
したいことはないし、仕事は半年前に始めたばかりだからやめたら履歴書に傷がつくし(すでににしゃほど一年も経たずに退職してます)、どうしたらいいかわかりません
怠け癖 依存気質
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
『大切なことを"いつも今から"』を常に心に。
拝読させていただきました。
誰でも最初を踏み出すことには躊躇するものです。ノクチさんだけでは無い、ということを認識ください。
人は「孤独・虚無感」などに陥ったときは自信を失うものです。頑張れないときには頑張らなくてもいいのです。
ちなみに仏教では「頑張る」という用語は存在しません。
自分自身に付いた"癖(習慣)"は、なかなか離れなく、離せないないものです。
しかし、苦難・苦悩を感じることは本来の自分自身ではないからと感じているのも事実です。
だからといって過去の自分自身に戻ることはしなくて良いのです。
『大切なことを"今から"』を常に心に。
過去の出来ていた自身などと現在を照らし合わせることで、歳が離れれば更に気持ちは萎えていくものです。
過去は追ってはならないのであり、今 自分自身を変えたいという気持ちがすでに良い方向へと自身を向かせています。
そして、目標を高く持たないことも肝心なのです。
目標を高くし過ぎてしまうことで、届かないことに断念や諦めた癖が脳裏に駆けめぐります。
何事も、掃除であろうが 勉強であろうが 仕事であろうが時間を決めるように、適度に休息・休憩を入れることをしっかりカリキュラムに組み込んでおくことが大切です。
心に「過ぎない」ことを
心に「ほどほど」を保つこと。
上記2点のみです。そうすることで、継続と自然と成っていくものです。その中で、過去は追わないこともしっかり心に思うことです。それから「他人と比較しない」「年齢で決めつけない」「何も恥いることはない」と信じてください。
わたしは分からないことは、まったく平然と聞きます。五十代手前ですが。
『聞くが一時の恥。聞かぬが一生の恥。』とあるように、聞くこと これから人生に起きること、世の中の人たちは誰もが不可思議なものです。探究すれば未知であり、誰かが知っているからといって恥じ入ることは全くありません。
自尊心などを傷つくことは恐いですが、変わってやるの気持ちが勝れば、恐いものは無くなっていきます。
腹をくくれば迷いは消えていきます。
合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます
腹を括り、やってみようと思います