過去に死なせてしまったペットに対して
過去に死なせてしまったペットや生き物について後悔があり相談させていただきました。
小さい頃から生き物に関心があり物心つく前からペットを飼わせてもらったり昆虫採集などしていました。
その後、自分の意思でハムスターやうさぎを飼わせてもらったのですが飼育が行き届かず、自身の怠慢で殺してしまいました。
うさぎは私が小学生〜大学生の間に飼育していましたが最後は体も弱くなり診察を受けた際に暴れた影響で亡くなってしまいました。最後の方は私の怠慢で構ってあげられず寂しい思いをしていたと思います。
飼っている間も最善の飼育ができていたとも思えず私が飼ったばかりに不幸に死なせてしまったと悔やんでいます。亡くなった翌日、火葬を行うことになったのですが、親戚との用事で私だけ参列できなかったことも悔やまれます。今は遺骨だけ自宅に置いていますが、仏壇などの習慣がなかったためお水やご飯を全くあげれていませんでした。亡くした後はうさぎにまつわるものは悲しみや自責の念で見ることができません。ずっと申し訳ない気持ちでいっぱいです。
また他にも飼っていた生き物や捕まえて殺してしまった昆虫に対しても申し訳ない、最低なことをしてしまったと考えてしまいます。
一度、巣から離れてしまった雛を見つけ助けようと思って逃げてしまい隣の家のバイクの隙間に入ってしまい助けられなかったことがあり、そのことも一生忘れられず、
纏まりのない分になってしまって大変申し訳ありません、自分の業を受け止めきれずおかしくなってしまうことがありどうしたらよいかわからなくなります。わたしがいまできることはなんでしょう。前向きに生きることさえ拒まれる人間だと感じて目の前の幸せを享受できない現状です。供養についてもおろそかにしてしまっていると思います、どうしたらよいのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生き物の行動から人間が学んでいく。それが生き物への向き合い方
いろいろ思い出すのですね。
人間は、生き物や自然とも共存していますね。そうでないと、人間も生きていけないのでしょう。生き物から、学ぶこともありますし、恩恵も受けて、人間は生きていられるのでしょうね。
だからこそ、生態を知ることは、大事なことですね。そして、厳しい現実も受け入れていかねばならないのでしょう。
しかし人間は、その生き物をペットとして飼う。人間の生活の中に、生き物が合わせて暮らすような生き方を強いているのかもしれないと考えると、飼うということは、人間の身勝手なエゴなのかもしれませんね。いくら愛情を注いでも、ずっと一緒に生きてやることも出来ず、限られたスペースの中だけで、人間が与えた物だけで生きていかねばならない生き物の生涯は、幸せだったのでしょうか。
あなたを責めているわけではありません。人間が生き物を飼うということは、どういうことなのかを、今までの動物たちが、あなたに教えてくれているのではないでしょうか。
また、暮らしの中で出会う生き物の、厳しい現実も知りながら、共存する道を探っていくことが、人間の課題なのだろうと思います。
前日ニュースで、熊が人里まで姿を見せるようになったと。怖いニュースですが、だからこそ、生き物を守るために、自然を整えること、その責任も人間は考えねばならないのでしょうね。怖いなという感想だけでなく、そこまで考えるきっかけにしていく。生き物の行動から、人間が学んでいくのです。それが、お互いを守ること、生き物のため、してあげられることなのです。
あなたも、悲しみや申し訳なさだけでなく、生き物から学んだことを、これから大事にしていきませんか。
そして、供養も、あなたがお仏壇やお墓に向かう想いと同じように、その想いの中に、生き物たちも含んで、大切に手を合わせて参りましょうね。
質問者からのお礼
コメントいただきましてありがとうございます。私たちの傲慢さなどで沢山生き物を傷つけて生きているのだと思いその度に苦しくどうしたらよいのかわからなくなります。
その想いの中に、生き物たちも含んで、大切に手を合わせて参りましょうね。
私ができることは手を合わせ同じ過ちを繰り返さないことなのでしょうか。考えていきたいです。