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人生山あり谷あり

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人生山あり谷あり…山から谷へ急降下の時、「谷を楽しめばいい」と聞いた事があります。
谷を楽しむにはどうしたらよいのでしょうか?

2023年6月22日 12:39

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そこにいながらそこにいることをわすれることです

人生には三つの坂があります。
1乃木坂
2欅坂
3日向坂
間違えました♡これはアイドルグループでした。
1のぼりざか
2くだりざか
3まさか

これは地元の豊田老師から教わったお話です。
上り坂は逆境でしんどいですが、イイ鍛錬にもなりましょう。悪いところばかりじゃないんです。
下り坂は進みやすいですが、慎重に歩みませんと足を踏み外せば体も痛めますいいところばかりじゃァないんです。
まさかは想定外。まさか、こんなことが、自分だけ?ホントかいな?と思われるような衝撃的なこと。インパクト大。人生史上最大の困難。それでも乗りこなすパラリンピック選手やサーファーのようなタフで柔軟な人たちも数多くおられるのです。まさかな坂でも「まさか乗りこなせる」ものなのです。だってみんな死んじゃうのに今日もピンピン死ぬことも忘れてみんな自分のことやってるんですから(笑)ある種人類全体が生老病死という荒波のサーファーです。
あなたも死にます。私も死ぬんです。大丈夫なのです。人生にはどんな底辺にあってもそこから救いを求める心さえあればそこから心はちゃんと軌道修正ができるのです。
私も日々これ山あり谷ありゴジラザライドあり。
人生の今日新たなな困難は今日の山、谷、谷底なり。上り坂、下り坂、まさか🐔トサカも乗りこなせばいいのです。トサカ(怒り)を用い得てこんなことで負けてたまるか、死んでたまるか!と。谷底を楽しむには随所随所に善悪・良し悪しをつけずにその事実を全うすればいいのです。私も年中病気をしているようなもんで今はお腹が弱って毎日下痢をしております。おまけに糖尿と痛風のハーフ+多様性マンセー菌活共存ボディゆえにそろそろ仏の世界からお呼びがかかっているのかもしれません。そういうのも谷と言えば谷。谷にあっても谷を知らんので谷も天にすればいいのです。そこがどこだか忘ずる。あなたも今、そこにいながら、そこがどこだとか、誰の部屋だとか知らないままにこれを読んでいた!はずです。同じです。あなたの足はそこが谷だ谷底だとか知らずにそこに立っている。あなたの腰はそこが王座だ蓮華台だ底辺だイスだ畳だジュータンだコッシーだなんてしらんままにスワっているでしょう。「そこにいながらそこを忘れる事」その無自覚のイスワリこそが随所を楽しむということです。あなたの眼はもうこの千文字を読んで今ここを歩んでいるからです。

2023年6月22日 15:15
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下覚元 様
回答ありがとうございます。
人生の谷を何度も経験しましたがトラウマが邪魔をし中々楽しむ事が出来ず苦しんできました。
苦しみや痛みを経験したからこそ、人を喜ばせたり助けたいと思っていますが…
周りからは「自愛できてない人が人に何かを与えても無意味」と言われた事もありますが…
色々な考えや見方の人がいるんだなと感じてます…
荒波を乗りこなすサーファーは、困難な波でも嫌な顔をしないで楽しんで挑戦しているのを昔目の前で見た事があります。
出来事に良し悪しをつけず全うする、
そこにいながら、そこに居る事を忘れる
しっかり頭に叩き込んでおきます。

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