一つずつ出来なくなっていく
私は脳に障害があります。
投薬治療をしていて、一週間に一度病院へ行きます。
13年程通院しています。
普段は自宅にいて家事をしたり、動物保護のボランティアに参加していました。
障害を負ってから今までにいくつか仕事の面接を受け、障害のことも正直に話しました。
結果は不合格で、理由としては、
脳に障害があり障害者手帳を持っているという事は、健常者より出来る仕事が限られ、その分は周りに負担が行くことになる、最初からわかっていてそのリスクを負うわけには行かないとの事でした。
他には障害者雇用の仕事も受けましたが、
同じ理由で不合格になりました。
本当かどうかは分かりませんが、はっきり言ってくれて良かったと思っています。
今は障害年金を受給させて頂きながら生活しています。
最近は文字を読むことがとても難しく時間がかかります。
お風呂や歯磨きも補助をしてもらったりします。
一つずつ、以前できていた事が出来なくなっていくことに少し焦っています。
なんとかなるっ!という気持ちでやってきましたが、何とかならない事もあるんだなぁと思いました。
手が震えて箸が持てなくなったり、持ったものをよく落とすようになり、焦ります。
昔はできていた車の運転も控えるようになり、ずっと頑張って維持してきた車を手放すことにしました。
できる事が一つずつ減っていくのは少し寂しいです。
何か楽しく生きるために出来ることはあるでしょうか。
ご助言頂けましたら幸いです。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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苦悩は、どうぞ仏様に預けて下さいませ…
難しいご相談です…私にしっかりとお答えできる自信はありません。
しかしながら『最近は文字を読むことがとても難しく時間がかかります』…という一節に共感して回答させて頂こうと思いました。
私は生まれついてから左目が弱視でして、文字は読めるのですが、頭に入ってきません…と言いますか、左目からの文字情報を脳が処理できないようです。
その為、本からなど全ての文字情報は右目だけで得ている状態で、結果当然の如く右目の視力がどんどん落ちていき、かえって左目の方が視力検査の数値だけは良い状態です。
つまり、私が今後 老眼等で右目の視力が極度に落ちたなら、多分 活字情報等は全て理解出来なくなるだろうと思います。一時期そのことを恐れて左目での読書にチャレンジし、文字読解能力のアップを図りましたましたが、内容の理解にもの凄く時間が掛かってしまい到底無理でした。
世に完璧な人などいません。
外見からは分からなくても、でも皆が何かしらの障がいやハンデを背負っていてそれでも一生懸命に生きています。
いえ、もちろん「ほぼ問題無く生きてきた。人生かなりの部分を自分の思うように生きてこられた」と感じているお方も中にはいらっしゃると思います。
でも、そのお方は「多くの人間の感じている苦悩が理解出来ない」というハンデを背負うことになります。そのことで人を怒らせたり、嫌われたりすることもあるかも知れません。
人間はそもそも自分の思ったように生きることは出来ません。なぜなら「思うこと」はすべて「煩悩」のはたらきであって、煩悩の(欲)深さには限界がありませんから、思いが満たされることは決して無いのです。
ちょっとやそっとのことでは満足出来ず、不平不満を募らせ続けるのが世の人の常なる姿です。
その事実を見抜かれたのが「仏様」です。
私が満たされない思いから解放されるには「仏に成ることしかない」と見抜かれ、私を必ず仏に仕上げて下さるのです。「一切の苦悩からの解放を約束」して下さいます。
そんな仏様の御心を有り難く頂く以外に私に心の平穏が訪れることはなさそうです。
どうか「あなたの苦悩を全て引き取ろう。心を軽くしてあげよう」とおっしゃる仏様の心を素直に頂戴し、募る思いを仏様にお渡し下さい。
そこに苦悩の取られた心軽やかな人生が恵まれます…。
質問者からのお礼
小林 覚城様
ご回答いただきまして、ありがとうございました!
体に不自由があるのは自分だけではなく皆それぞれ苦悩があると気づけました。
四年前に買った、三島由紀夫の潮騒という本は、四年で3ページしか進みませんでしたが最後まで読めるように頑張ってみたいと思います。
思うことは全てが煩悩なのだと初めて知りました。
聞くことには不自由がないので、YouTubeで説法を聞いてみたいと思います。
ありがとうございました!