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卑屈になっていくのを止めたい回答受付中

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有り難し有り難し 8

精神障害があるということによって、こんなにも卑屈になって生きづらい心持ちを生み出している、と気付いたけれど、どうやって抜け出せるのか、自分の頭では堂々巡りで答えが出ません。

(細かい経歴と状況はプロフィールと煩悩の欄に書きました)
世の中の色んな人たち(店員とか僅かな接触しかない人も含め)、職場や支援機関の人に「精神障害者」として扱われ、私の主張や感情が「障害」のフィルターを通って正しく伝わらない度に悔しさ・みじめさ・無能感を感じます。

そういう体験を大量に繰り返す内に、「どうせ私は精神障害者って思われてるから」と卑屈になって、せっかく働けていても、楽しい嬉しい感覚も瞬間で消えてしまったり、自分から避けてしまったりするようになっています。あまりにショックが強い時は、心身の感覚が完全に消えてしまって、体の不調も味覚も分からなくなり、つらささえ無くなっていました。時間が経つとまた苦しく戻ってきます。

ハスノハの皆様から温かい言葉を頂いてるのに、何でこうも自分で自分を愛せない感情や行動になってしまうのか。

歯止めをかける方法ってありますか?

2025年5月11日 18:06

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたは、あなたのままで大丈夫です!

ご相談くださり、ありがとうございます。
あなたの文章から、一つひとつの経験がどれだけ深く、重く、心に刻み込まれてきたかが伝わってきました。

「精神障害がある」と一度ラベルを貼られると、世の中の見方が変わってしまう。言葉が届かない、感情が正しく受け取られない。

そして、悲しみや悔しさだけが心に残り、
自分の価値が見えなくなっていくその苦しみは、決してあなたの弱さではなく、「そうならざるを得なかった苦しみの積み重ね」です。

仏教では、「迷い」とは単に“間違っている”ということではありません。本当の自分を見失ってしまう心の状態を指します。

たとえば、他人の視線や言葉によって「私の価値はこれしかない」「私は劣っている」と思い込んでしまうこと。

それは、外からの評価によって“自分がゆがめられてしまった”状態なのです。

あなたが「卑屈になってしまう」と気づけていること。それは、すでに“迷いの中にいる自分を見つめている智慧”があるということです。

「こんなに温かい言葉をもらっているのに、自分を愛せない」この気持ち、とてもよく分かります。

でも、それはあなたの心が冷たいからではなく、長年の否定的な言葉や態度によって“心が防衛反応として閉じた”結果なのです。傷つきすぎた心は、自分を守るために“感じる力”そのものを一時的に失ってしまうこともあります。

仏教では、それを「煩悩(ぼんのう)」と呼びますが、煩悩は“悪”ではなく、苦しみから身を守ろうとする人間の自然な働きなのです。

ですから、どうかまずは、「こんな自分になってしまった」と責めることを手放してあげてください。

あなたは、今のままで、すでに素晴らしい人です。深く傷ついたからこそ、痛みに敏感で、他人の苦しみにも寄り添える人です。

心が「無感覚」になるほどのつらさを生き延びてこられたあなたには、何かを“証明する”必要も、無理に“元気になる”必要もありません。

ただ、今日一日を生きられた自分を、
「今日もよくやったね」と静かに声をかけてあげてください。

2025年5月11日 19:20
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有り難し
おきもち

広島の山あいで、今日も「なんまんだぶつ」とつぶやいています。 浄土真宗本願寺派の僧侶、ケンコウと申します。 日々の中には、言葉にならない思いや、誰にも言えないもやもやがあるものです。 そんな時こそ、仏さまの教えが、ふっと心に灯りをともしてくれることがあります。 この「はすのは」では、あなたの声に耳を傾けながら、一緒に“いま”を見つめ直す時間をつくっていきたいと思っています。 堅苦しくなく、あたたかく、時にゆるく。 どうぞ、あなたのお話、聞かせてくださいね。

あなたの思いを伝えていく中で

拝読させて頂きました。
あなたはご自分のご病気のこともあり人と接していくのにどうしても卑屈になってしまうのですね。とても生きづらく感じているのですね、そのことをとても気にしていてやめたいと思っているのですね。詳細なあなたのことはわからないですけれどもあなたのその辛いお気持ちを心よりお察しします。

あなたが様々な方々から障害者として見られ、「障害」というレッテルを張られあなたの思いも気持ちも正しく伝わらず、とても悔しく自分のことをみじめに感じたり、自分は全く無能ではないかと思い込んでしまうのですね。その思いはあなたでなければわからないかもしれません。
それでもここであなたがご自分の思いを語って下さる中であなたの思いは確実に私達に伝わって参ります。
あなたのやるせなさや生きることへの苦しみをお話しなさっていく中であなたのお気持ちは多くの方々へ伝わり、あなたを理解しようとすることへつながっていくのではないかと思います。

ですからできるだけここでもしっかりとあなたの思いを思いつくまま可能な限りおっしゃって下さいね。あなたが信頼できる方にもあなやの声に耳を傾けて下さる方にもしっかりとお話しなさっていきましょう。

なかなか素直に受け止めて下さらない方も場合もあるかもしれませんが、あなたがお伝えすることは決してムダではありません。あなたの思いは一つ一つ数々の方々に確実に伝わっていくでしょうし、あなたを理解して下さる方や様々なことをあなたと一緒に楽しみ分かち合う方も増えていくと思います。

そしてあなたの心も和らいでいき卑屈にならずに穏やかなお気持ちで皆さんと接することもできるのではないかと思います。
どうか安心なさって下さいね、あなたは私達や多くの方々とこれからもご縁を結んでいくのです。

あなたがこれからの未来を沢山の素晴らしい出会いやご縁に恵まれてお互いのことをわかり合い、尊重し合い共に楽しみを分かち合いながら健やかに生きることできますように切に祈っています。そしてあなたを心より応援させて頂きます。

2025年5月12日 11:16
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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

釋兼高様、本当にありがとうございます。
うまく言い表せないけど、自分の丸ごとを受け入れてもらえてて、自分の事が「悪いわけじゃないんだ」って思えて、相談して良かったと思いました。
かけてくださったお言葉とお心を大切にしたいです。

Kousyo様、今回もお言葉をかけてくださってありがとうございます。
私の《伝えよう》とすることが、今までのも、これからのも、私以外のひとにとっても意味のある行動だったと教えて頂き、たとえうまく伝わらない時でも無意味じゃなかった、と気付きました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ