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悪性の強い人間の生き方について回答受付中

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生き方がよくわからなくなりました。どう生きればいいですか?

私はASDという障害を持っています。その特性上、他者を傷つけたり、感情のままに行動したり、誤解を招いたりと、まあとにかく加害者側の立場になることが多いです。

私が昔聞いた話で、「魔王が生まれる」という予言を聞いたら、その子を産まないようにお願いするというものがあります。その魔王が生まれたら、壊滅的な被害が出るからです。

そしてこの話から、予言に出てきたり、産むのをやめてもらいたいと頼んだりするのは、本当に取り返しのつかないレベルの被害であり、魔王未満の存在が生まれてくることは多々あるのではないかという仮説を立てられます。

その仮説通りなら、おそらく私もそういったタイプの人だと考えられます(障がい者がすべからず悪だという意図の発言ではありません)。産むのをキャンセルしてほしいと頼まない程度の悪です。

きっと、ここまで読んでくれる方はやさしい方なので、「それでも生きていていいんだよ、今の自分を受け入れるようにするといいよ」的なことをお話ししてくれるかもしれません。無論、私にもそういった考えが一応ありますし、だからこそ今こうやって生きています。

問題なのは、悪性の強い人間はどうやって生きていくべきかという話です。ただ単純に生きていけば、他者も自分も傷つけることになります。

しかし、悪も善も悟りの前座に過ぎないと考え、悟りを開こうと精進するのも無理な話です。悟りを開こうとすればするほど、それが遠のくことはお坊さんでなくてもわかります。

もちろんこれらは極端な例です。普通に生きていけばいいじゃんと私も思います。しかし、普通に生きていこうとすればするほど自他ともに苦しむのは経験済みです。

もうどうやって生きていけばいいのかわからなくなってしまいました。いくら真剣に考えても、答えが出てきません。助けてください。

2025年5月22日 1:15

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

大丈夫、あなたは「悪」じゃない。「自分らしさ」を見つける日々

自分のことを「悪性の強い人間」と表現し、「どう生きていけばいいのかわからない」と、深く苦しんでいるのですね。その気持ち、痛いほど伝わってきました。生まれてしばらく後から私たちは「言葉」を使ってきましたが、使い方を間違えると、その言葉の解釈に自分自身も周りの人も縛り付けてしまうことがありますね。「悪性の強い人間」という言葉は、もしかしたら、山田さんがこれまで経験されてきた辛い出来事(いじめ、孤立、無理解など)の中で、ご自身を守るため、あるいは状況を理解するために、いつしか身につけてしまった「レッテル」のようなものなのかもしれないと思いました。お母様から「あなたは障害ではない、健常者だ」と言われた時の大きなショックも、その「レッテル」ゆえの混乱が一因となったのかもしれませんね。

「ただ単純に生きていけば、他者も自分も傷つける」という言葉を、どう受け止めたらよいか悩みました。山田さんが「普通に」生活してきたこれまでをふりかえって、ほんの些細なことでも喜びを感じたり、何かを楽しんだり、誰かの役に立ったと感じたりした経験は、本当に一つもなかったのでしょうか。お天気に晴れの日もあれば、雨の日・曇りの日があるように、私たちの心や体も様々に変化しますね。しんどい時はどうしても物事を悪い方へと考えがちです。丁寧に日々を振り返れば、穏やかだった時間もきっと思い出せると思います。

「ASDか、健常者か」という二つの枠だけでご自身を捉えることは、一旦止めてください。まず大切なのは、自分自身の理解です。山田さんが具体的に「何に困っているのか」「本当はどうしたいのか」そして「身近な人に、どのように関わってもらいたいか」という、日々の生活のしづらさを細かく書き出し、言葉にしていくことから始めることです。
その上で、身近な人との関係作りです。障害の有無にかかわらず、人間関係は元々「見えない手間」がたくさんかかるものなのです。その「手間」をお互いに少しずつ意識し、言葉を尽くし、試行錯誤を重ねていくことが私たち人間共通の、そして尊い生き方なのではないかと、私は思っています。

あなたは決して独りではありません。このハスノハにもあなたの言葉に真剣に耳を傾け、共に考えようとする僧侶がいます。焦らず、一歩ずつ、一緒に答えを探していきましょう。ハスノハ一同、心から応援しています。

2025年5月22日 8:05
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おきもち

個別相談可能
1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん」 大阪府茨木市出身。実家の西福寺で中高生を主体とする「るんびに太鼓」に所属、演奏・指導経験を通して、「人は、支えられてこそたくましく生きてゆける」と体感。青少年よみがえりの場「短期るんびに苑」にも関わる。   平成8年三次市・源光寺へ入寺。《様々な経験を持った人々が集い、信頼できる温かなつながりを育む》そのような交流館を目指して、赤ちゃんからご年配の方まで世代を超えた活動を続けている。寺院や福祉施設はもちろん、各地の学校や保育所、コミュニティーセンター・いきいきサロンなどに招かれ、「いのち・こころ・真実を見つめる」ご法話や講演を重ねている。また、「子育て支援」「アドバンスケア・プランニング」「グリーフケア」を柱にした研修会も好評。子どもたちと富士山登山を3度完遂。ご法話や講演などをご希望の方は、遠慮無くお声かけください。  グリーフケアアドバイザー1級 発達障害コミュニ ケーション初級指導者 つどい・さんあい運営委員
ご相談時間はご希望をいくつかお知らせくださいね。 ◆「絵本のお坊さん」として、絵本を通じて人生を見つめ直す活動を行っています。◆死別、離婚、退職、不安など、様々な喪失を抱える方のお話に寄り添い、仏道の教えを分かち合いながら心を癒すお手伝いをしています。◆資格:グリーフケアアドバイザー1級、発達障害コミュニケーション初級指導者。

あなたも相手の人も大切になさってはいかが

拝読させて頂きました。
あなたは人を傷つけてしまうことがありこれから自分はどう考えどう生きていけばいいのかととっても悩んでおられるのですね。あなたが今もとても試行錯誤なさっておられるのかと思います。詳細なあなたのことや周りの人達との関係は分からないですけれども、あなたのそのお気持ち心より受け止めさせて頂きます。
あなたはご自分の心の状態や感情をしっかりとご覧になってある程度把握なさっておられるのかと思います。また自分の周りの人達にどの様な感情を持たれどう様な影響を与えるかわかっておられるのかと思います。
あなたがその様な状態で人と接していかれることはとても有意義なことだと思います。
あなたがこれからどう生きることが善いのか、望ましいのか迷ってしまうのも当然でしょう。
自分の心と折り合いをつけながら慎重に生きていくのもなかなか大変なことですからね。
これからどう生きることが望ましいのか私もなかなか明確な答えはありません。
しかしあまり難しく考えることよりも、自分自身を大切になさって生きること、周りの人達のことやお気持ちも大切になさって生きることができることかと思います。
自分も相手も一人一人人間ですから感情の起伏もありますし、様々その時の状態によっても受け止め方に違いがあります。
傷つけたら嫌ですし、傷つけられたら嫌ですしとても辛いです。
ですから自分に対しても相手に対しても穏やかに安心して接していくことがとても大切だと私は思います。あなたはいかがでしょうか。
ゆっくりとこれからの生き方や価値観や人生をあなたなりに見つめみて下さいね。
あなたを心より応援させて頂きます。

2025年5月22日 9:45
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脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

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