亡くなった父を追いたいと思ってしまう。
先週、大好きな父が不調を訴えてから僅か1ヶ月で急逝しました。 58歳でした。あまりにも早く、只々呆然としています。葬儀は無事執り行いましたが私はどうしても受け入れられません。
また父の立場になって考えると悲しみや悔しさを想像してしまい、苦しくなります。葬式で、父は孫(私の子供)の動画を周囲の人に見せびらかせて自慢していたことが分かりました。父は、私と孫との未来を描いていた筈です。まさかこんな形で急死するなど、1ミリも考えていなかった筈です。父は何を思い死んでいったのでしょうか…
---父の最期---
不調を訴えた父は病院で脳腫瘍と診断され緊急入院。検査結果が出るまで2週間かかり悪性のガンだと判明。
お医者様には腫瘍の場所が悪く手術は出来ないと言われ1〜2ヶ月の余命宣告を受けました。
入院中、コロナの影響で私や家族は父との面会が容易でなく、我々の知らぬ間に父は意識を無くしました。私たち家族が父の余命宣告を受けた時、父は会話できる状態でなかったのですが、聴覚や視覚がどうだったのかは不明です。父は入院して死を覚悟したのか、はたまた自分の身に何が起きたのか何も分からないままだったかもしれません。
病院の配慮で父との面会が自由になった頃には声をかけても反応は無く、父の想いを知る術なくお別れとなりました。
---父への想いと今の気持ち---
私は小さい頃から父が大好きで、学生時代も社会人になってからも悩み事は全て父に相談しました。父がいなければ今の人生はありません。
そんな父が突然亡くなり、自分も父を追いたいと思う時があります。
唯一それを留めているのは娘のことがあるからです。
実は入院して1度、父から私に電話がありました。後から知ったことですが、この時の父は腫瘍のせいで携帯の使い方が分からなくなっていて、私に電話が繋がったのは奇跡だったそうです。
そして父は電話で「◯◯(私の名前)と◯◯(孫の名前)の為に生きている」と言いました。
....私はこの言葉を父の遺言だと思っています。だからこそ私は父亡き後も生き、娘を育てなくてはなりません。父が私にしてくれたように、沢山の愛情を注いであげたいです。でも、どうしても父を想うと会いたくてたまらないのです。そしてもう大切な人が先に亡くなるのを見たくない気持ちから、次は誰よりも先に死にたいとすら思う時があります。
32歳1児の母をしています。家族は母と兄。2022年8月に入籍し現在は実家を出て夫と娘と3人暮らしです。 私の性格は猪突猛進でありつつも寂しがり屋です。家族には自由気ままに甘やかされて育ててもらいました。 私は兄と共に小学校1年生から6年生まで少年野球チームに所属していました。 当時女の子が野球をやっているのはかなり珍しく、それでも私が野球を始めたきっかけは、野球に興味を持ち始めた兄のために野球指導者として週末野球三昧になってしまった父に構って欲しかったからでした。 そんな構ってちゃんの私ですが、特に心の支えだったのは父でした。学生時代の相談相手は全て父。自分が何かを決める際には「これでいいと思う?」と毎回父に確認を取るほどでした。学生生活を終えて社会人として働いている時も何か悩みがあれば必ず父に相談していたくらい父のアドバイスを聞くと心が落ち着きました。 そんな父が7/25に急逝し、今は心が壊れそうな思いです。
父の死に怒りや悔しさ、悲しみや苦しみがある。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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回向ということ
お父さまが急逝されたとのこと、心よりお悔やみ申し上げます。あなたにとってお父さまは心から尊敬できる頼りにしていて最愛のお父さまだったのですね。ご相談をお読みしてそれがとても強く伝わりました。
そんなお父さまが急逝されたのですからあなたが受け入れられないのは当然のことと思います。
まず申し上げたいことは仮にあなたが後を追えばこの世でお父さまを最も想う人が居なくなってしまうと言う事です。もちろ娘さんのことがありますから、おっしゃる通りお父さまがあなたにそうしたようにあなたは娘さんに愛情をそそいであげて頂きたいと思います。
もう亡くなりましたが永六輔さんと言う芸能人で僧侶の方が「人は2度死ぬ」と言いました。一度は実際に肉体が滅した時であり2度目はその方の事をこの世の全ての人が忘れ去った時だと言われました。
あなたは娘さんとできるだけ長生きしていつまでもお父さまを忘れずにに手を合わせていただきたいと思います。お父さまが2度目に亡くなるのをあなたが防ぐのです。
仏教的に申し上げればお父さまはお浄土と言う全ての悩み苦しみから解放された世界にお生まれになっています。往生と言う言葉は文字通りお浄土に往って仏様として生まれると言う意味です。
ですからお父さまはあなたや娘さんを安らかなお気持ちで見守ってくださっています。あなたがお父さまに手を合わせればお父さまは必ずあなたが手を合わせてくれたのとを判ってくれます。仏教では私たちと仏様は決して一方通行ではないと考えます。
何故なら、あなたがお父さまに手を合わせるとお参りした後に何故か心が休まるとかホットすると言うお気持ちになったことはありませんか。これはお父さまが仏様としてあなたにお慈悲の心を手向けてくださったからなのです、これを難しい言葉で「回向えこう」と言います。あなたがお父さまを供養すればお父さまは必ずあなたに回向してくださいます。お父さまはいつまでもあなたの側に居るのです。どうぞ安心して下さい。合掌
質問者からのお礼
暖かいコメントをありがとうございました。父が病の苦しみから放たれ心安らかに居てくれるならこれほど嬉しいことはありせん。まだまだ受け入れられない事実ではありますが、今は毎日父を想って手を合わせ続けようと思います。