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怒りがわかりません。坊様になるべきですか

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有り難し有り難し 4

 幼少期より全く怒らず、一度だけ親の理不尽に怒りのような行動を取った時、「お前が怒るなんて初めてだ、珍しい」と驚かれたような身で、今年で36歳です。

 怒りは問題解決に繋がらず、周囲との軋轢を生むだけの無駄な感情発露で、メリットのない行動。お坊さんの中にもそうした本を出された方がおり、共感以前に何を当たり前なことを言っているんだと思いました。一方、人間は当然のように怒り、怒りを持たないことなどできないと口々に言いますが、それが何故なのかがわかりません。お前は何故怒らないんだと言われた時は、怒りでは物事が解決せず、解決のためには冷静な分析からの問題対処が必要だと説明し、結果的にこれまでほとんどの問題が解決できました。その手法も相手を救うものであり、万引きに対して通報や出禁ではなく、相手の経済問題やスリルを満たす感情の解決という方法などで対処していました。

 しかし昨今、人生全体で見た時に、次々に別所・別件で発生し続ける問題に対するもぐらたたきに疲れてしまいました。毎回問題を起こしている人と当たる時、ほとんどの人が相手を敵と認識して怒りをエネルギーに用いて、その人との戦いそのものと、勝利から大きな快楽を得られているのに対し、私は善意と義務感を持って行動するため戦いでエネルギーを消費し、解決から得られる快楽も大きくありません。怒りとは問題解決を結果で見た時には無意味でしたが、問題解決のエネルギーとしては非常に効率的で、それこそ石炭石油エネルギーのような役に立つものと気付きました。

 ところが、既に私の体は怒りエネルギーを発生させない、及び、エネルギーに転換できないように作られており、世間一般で怒りの対象になりがちな転売や政治などの問題に対しても、全く怒りがわかず、どうすれば解決するのだろうかと考えてしまうだけでなく、それに対して怒る人々の気に当てられての疲労が重なるだけです。

 知人は「お前のその性質は坊さんの誰もが求めるものであり、それを持つお前は坊さん極めて向いている。坊さんになるべきだ」と言いますが、仮にお坊様になったとして、私には空海様のように即身仏となりて世界に祈る以外に未来が見えません。

1:私はお坊様になるべきでしょうか?
2:なったとして、私は何ができるでしょうか?
3:今からでも怒りを持ち、相手を攻撃して快楽を得るトレーニングはあるでしょうか?

2023年8月11日 22:25

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悟りやすい性質の可能性がある

怒り(悲しみや後悔や嫉妬も含む)が無い、又は弱いのであれば、あなたは悟りやすい性質であると思われます。
仏道修行に向いていると思います。
戒律を守り、瞑想を実践すれば、悟って煩悩をさらに減らせる可能性があります。
そうすればあなたは人生の悩み苦しみから開放されます。
必ずしもお坊さんになる必要はありませんが、お坊さんになることが許される環境(現金収入が少なくても家族が困らない等)であれば、お坊さんになるのも良いでしょう。
まずは、仏教の基本的な教義を学び、日常生活で五戒を守り、ヴィパッサナー瞑想でもやってみてはどうでしょうか。
なお、怒りの多くは、執着に起因します。(ホルモンバランス等でイライラしやすい場合もあるでしょうけど。)
あなたにとって大切なものごとがあれば、それを守るために怒りが湧いてくるかもしれません。
欲・怠け・プライド等の、怒り以外の煩悩に連鎖して怒りが起きる場合もあるでしょう。
怠け(休みたい)やプライド(自尊心)を邪魔される場面では怒りが起きやすいでしょうね。
追記
 あなたの行動力にも頭が下がります。

2023年8月12日 7:42
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

 願誉浄史和尚さん、回答ありがとうございました。様々な気付きを得られました。

 瞑想について概要は存じておりましたが、ヴィパッサナー瞑想に関しては初耳でした。調べてみましたが、このような団体・施設があるのですね。強い興味が湧いたため、予定の調整を行おうと思います。新たな機会を開いてくださったことに強い感謝を申し上げます。

 怒りに関しても、執着との関与という点で自分が怒りをほとんど感じない理由が腑に落ちました。実際、私は全く私物を持たず、何かのコレクションはおろか服も必要最低限です。また、自身の金銭や思想にも執着がなく、常に自分に対して懐疑的で、新しい気付きを求めようとします。人生で数度身に覚えがある強い怒りを起こしたエピソードはすべて、大切な友人が良くない思いをした時であり、まさにすべてが当てはまります。

 今回のお言葉から、私が怒りを活用するためには、自分自身を愛し、執着する必要があることを理解しました。常日頃から知人に「プライドを持て」「もっと自分を大切にしろ」と言われていたことも改めて納得できました。本当にありがとうございます。しかし、多くの人がそうであるかもしれないように、私は私自身が人間として最も嫌いな存在であり、なかなか難しい道かもしれません。

 お坊さんへの道は、興味はあり、家族も推奨しているのですが、軽々しく選ぶ道でないことも理解しており、もう少しいろいろ学ぼうと思います。少なくとも、今はすっかり疲れているため、少なからずの時間を置こうと思います。改めて機会とご縁がありましたら、よろしくお願い致します。

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