信仰宗教の手引き親の人について2
宗教の手引き親の人について、以前にも投稿させて頂きました。
以前の相談と同じような相談になってしまいますが、モヤモヤをここで吐き出したく投稿させて頂きました🙏
手引き親の人に主人の事を相談させて頂いたのですが、やっぱり私の味方をしてくれてるようで、なんだか違うような…
失礼だな、と思ってしまいます。
ハワイへ旅行へ行って、マクドナルドに入ったのですが、英語が出来ないので、商品が間違えて入ってました。そして、ジュースにゴミみたいなのが入っていて、その事で家族で揉めてしまって、その事を相談したら、すぐに怒る人って怒る事が引き寄せられる。だから間違えた商品きてしまったり、ジュースにゴミが入ってたりするのよねと言われて、何だかモヤモヤしました。
間違えた商品が来たのは、ただ単に英語が出来なかったからだと思うのですが…
日本では、間違えた商品が来た事なんて一度も無いし…
いちいち、そんな悪い事を引き寄せられたと思っていたら、自分が悪いって常に思っていなくてはいけなくて、逆に嫌な気分になるなと思いました。嫌な事って、誰にでも平等におこっているけど、それをどう受けとめるかの違いだと思うので、怒りっぽい人だけに悪い事が引き寄せられてるとは思いません。正直、私の考えとは違うなと思いましたが、その場で言えずモヤモヤ。
皆さんは、どう思われるますか?また今後どう対処していったらいいと思われますか?自分の考えを今からでも手引き親の人に言った方がいいでしょうか?それとも、そこまでするのは、しつこいでしょうか?
こういう事って、普通の人だったら、流すものですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「引き寄せ」というより印象に残る
たとえば自分を雨男だと思っている人は、イベントで雨になったときの印象ばかりが記憶に残りやすく、晴れた記憶は忘れやすい。
たとえば、注文を間違えられたりゴミが入っていたりした出来事も、「怒り」の感情をくっつけて受け止めたときには印象に残り易い可能性はありますね。
それを数年分ストックして振り返って見ると、「私の人生は嫌な出来事ばかりだ」という物語が脳内編集される。
一方、普段から怒らず気にしない人なら、「嫌な出来事まとめ」の物語が脳内にできないのだから、数年後に振り返っても「けっこう幸せな毎日だったな」と終われる可能性がありますね。
つまり、実際は引き寄せられたのではなく、脳内編集された物語に「引き寄せ物語」とタイトルを後付け可能なのです。
まあ、宗教家には宗教家なりの思想哲学があるので、わざわざ文句を言うほどのことではないと思います。
仏教では、欲・怒り・怠け・プライド等の煩悩は悩み苦しみストレスの原因だと考えます。
私達に不幸を感じやすくする悪魔(敵)の正体は、他人ではなく自分の怒り(煩悩)。
それなのに、他人を憎んで怒りを増やすと、結局、自分のストレスを増やす結果になります。
それこそ、敵(悪魔、煩悩)の罠にはまっているのです。
「自分が悪い」でも「相手が悪い」でもなく、
斎藤和義の昔の歌詞にあった「誰も悪くはないさ、きっとそういうもんさ」がベストでしょうね。
追記
歌のタイトルも書いておけばよかったですね。わざわざ調べていただいて、ありがとうございます。
質問者からのお礼
がんよじょうし様、回答ありがとうございます。
そうですよね。誰かが悪いと考えると、ぐるぐる頭の中がぐちゃぐちゃになって、苦しいですね。
良く考えたら、誰がが悪いって事もないのかもしれません。その人なりの事情もありますよね。
斎藤和義さんの、「夜空に星が綺麗」って曲ですね♪ 斎藤和義さん、知らなくて、今回教えて頂いて、YouTubeで聴いてみました!とっても懐かしい感じのする、いい歌ですね。暖かい気持ちになる曲です。沁みました。教えて頂きありがとうございました😊