道で車に轢かれてしまった猫
先日仕事帰りに、道路の真ん中で車に轢かれたらしき猫を見つけました。
車を止めその子を歩道に寄せて状態を確認したところ、頭部からの出血がひどく顔も少し崩れているようでした。
背中や首から体液が流れていてました。
でも轢かれたばかりなのか体が温かくて…
もしやまだ息があるのかと思い、お腹に触れて何度も確認しましたが、心臓が動いている様子はなく…
近くの雑草が生えている所に置いて、「助けてあげられなくてごめんね。安らかに眠ってください」
と声をかけその場を去りました。
事故にあったと思われる動物を道の端に動かす、ということは普段から出来る限りしています。
ですが、今回は体が温かかったからか、もしかしたら私の勘違いでまだ息があったのかも、助けられたのかも、とずっと考えています。
そこを通る度に泣きたくなります。
こんなことを考えてしまうのはおかしいのでしょうか?
もっと出来ることはあったのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
命を想い手を差し伸べる者でありたいですね。
傷ついた命に出会うのは、辛いことですね。小さな動物なら、見逃してしまうところを、あなたが気付いてくださり、大切に接してくださったこと、ありがとうございます。
私たちが生きる世界で、この瞬間にも、どれだけの命が傷つき、亡くなっていることでしょうか。
何かのキッカケがないと、なかなか他の命に目が向かない私たちであります。傷ついた命に出会ったときに、何が出来るのか。
助けることが叶わなくても、見過ごしてしまう、無かったこととして扱う、のではなく、命を想い手を差し伸べる者でありたいですね。
あなたのこの質問を、多くの方が読んでくださり、命を考え、命を想う 優しさを持ってくださればいいなと思います。
あなたのおかげで、私も小さな命に気づけました。その猫を想い、手を合わせたいと思います。