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人生に正解はありますか?

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有り難し有り難し 24

先日、価値観の違いを理由に離婚しました。
生後半年の子どものことを考えると、離婚が正しい判断だったのかと悩みます。

「離婚しないで喧嘩しながら夫婦生活を送る」、
「離婚して子どもと二人で笑って過ごす、でも父親がいない」

人生に正解はあるのでしょうか?
また、「人生に起こることは全て必然的」、「乗り越えられる人にしか試練を与えない」と言いますが、本当なのでしょうか?

離婚してよかったかどうかは、これからの自分次第と分かってはいるものの、前向きになれません。
離婚して、さらには前向きになれないということで、子どもに本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

こんな私に喝を入れてください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

喧嘩しない生き方を

価値観の違いで喧嘩ばかりになってしまった状況が詳しくわかりませんが、
基本的には、価値観が違っても喧嘩しないで穏やかに折り合いをつけられる、柔らかい心になることが、平安な人生につながると思います。

何事も、思い通りにならないのが人生の現実です。
でも、だからといって不幸ではありません。
思い通りにいかないのが「普通」なのです。
他人の心ならなおさら、思い通りにコントロールはできません。

是非、柔らかで穏やかな心を育ててください。
敵を増やさない生き方で、自分の生きる世界を快適空間にしてください。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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生かされている人生に正解も不正解もない。

亀山純史と申します。
私が思うには、人が思い描く理想の人生はあるかもしれません。しかし、それは人間の欲望によって描かれた人生です。もしも、そのような人生観を基準に考えれば、そこには、正解や不正解の人生があると言えましょう。
それに対して、仏教の見方に立った人生には、正解も不正解もありません。私たちの人生は、仏様のお慈悲の中において、生かされている人生です。つまり、私たちは、仏様の「一切の衆生を迷いの世界から救いたい、目覚めさせたい」という願いの中に生かされている存在、願いが働きとなって届いている存在なのです。そのような生かされている人生において、何が正解なのでしょうか。そして、何が不正解なのでしょうか。「生かされている」とは、正解・不正解という基準では語られない見方なのです。それなのに、私たちは、正解・不正解というラベルで人生を区別したがっているのです。
以上が私からの回答です。少しでもお役に立てれば、幸いです。

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有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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質問者からのお礼

亀山様
回答ありがとうございます。
喧嘩ばかりになったのは、元夫は仕事が忙しくて、私は子育てが忙しくて、お互い自分のことで精一杯で、価値観を合わせる余裕がなかったり、相手に労いを期待したり求めたからだと思います。
最近、思い通りにならないとイライラしてしまう自分に、「思い通りにならないのが普通」という言葉が響きました。
喧嘩をするということは敵を作るということですよね。
ありがとうございます。

すみません。
願誉浄史様でした。

亀山様
回答ありがとうございます。
私は理想の人生が強いのかもしれません。
特に家庭のことで…
そのため、私の中で離婚=不正解なので落ち込みがひどいのかもしれません。
「生かされている」と考えれば正解、不正解はないですよね。
人生って奥深いです。
ありがとうございます。

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