もう一度、あの頃のように
最近、友達に会うのが怖くなってしまいました。元々は友達に会うのが大好きでしたが、適当な理由をつけて避けてしまいます。
集まりに参加すると「彼女ができた!」「今度アメリカに行く!」「仕事が楽しい!」などポジティブな話題が多く、みんな未来に希望を持っているみたいですごく輝いて見えます。
対して僕は、特に大した話題もなくて何だか場違いな気がしてしまい心から祝福もできないし、笑えなくなってしまいました。
嫉妬心や劣等感でいっぱいな自分自身にもがっかりして辛いです。
叶うことならば、もう一度、あの頃のように屈託なく心の底から笑ってみんなに会いたいです。
どうかお知恵をお貸しください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
焦る必要なんてないんですよ。
自分だけ、取り残されているかのような、感覚に陥ってしまいますよね。春は特に、何か新しいことにチャレンジ、変わっていかなきゃ〜って想いから、周りの変化に敏感にもなるものです。変われない自分が、情けなく見えたり。。。
周りの変化を素直に受け入れられないときは、無理に合わせて 会う必要はないと思います。自分がしんどくなるだけですから。
変われるところ、変われないところ、皆それぞれに、あります。
ただ、友達には 良い報告をしたいと誰もが見栄も張るし、良いことばかりを話せるわけではないでしょう。裏側には、悩みだってあるでしょうから、そこも 語り合える友の存在であり続けてほしいですね。
どんな状況になっても、支えあって 笑い合える関係でいてほしいなと思います。
適度な距離感を大事に。
私も、あの頃に、少女の頃に戻りたいなぁ〜(*^^*)
過去の自分と比べる
こんにちは。拝見いたしました。
友達と会うことが大好きであったが、集まりに参加するとポジティブな話題や成長していると感じられる話題が多く、それに比べて自分には話題もなく友達を祝福してあげることもできず自分自身にがっかりして辛いということですね。全く赤の他人ならいざ知らず同期や友人がどんどん前進している姿をみると、自分はこれでよいのだろうかと不安になる気持ちは誰にでも起こりうることだと思います。
比べることをやめなさいというのはある意味「正論」ではありますが、私たちは本能的に「比べる」という能力を持っています。腐った食べ物とそうでない食べ物を比べることによって判別できなければ生命に関わります。比べることをやめるというよりはむしろ「ああ、また比べる本能が働いているのだな」と感じることがよいのではないかと思います。
そして、どうせ比べるならば他人ではなく、「過去の自分」と比べるのが一時的によいのではないでしょうか。短期的な目線と長期的な目線を持つことも大事だと思います。「ない」「足りない」ものを見つめるよりも「あるもの」「達成したもの」を発見してみることもモチベーションを保つきっかけともなるでしょう。
何も咲かない寒い日は、
下へ下へと根をのばせ。
やがて大きな花が咲く
こんな言葉があります。上へ上へとのびるだけではやがて自分自身を支えられなくなります。長期的な視野をもち、時には立ち止まって下へ下へと根をのばす時期も必要なのではないでしょうか。
穀物さんの行き先に綺麗な大輪が咲き誇りますように。
合掌
質問者からのお礼
御解答して頂き、ありがとうこざいます。
少し気持ちが楽になりました。
これからは無理せず自分のペースで生きてみようと思います。