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人生の目的と喜びの見つけ方

回答数回答 1
有り難し有り難し 24

両親が亡くなり閉じ籠りがもう6年、無職

生きる意味と喜びがない状態、友達もいないし とっくの昔に縁が切れ
周囲の人達や近所とも全く付き合いがない状態で近所の子供にも可笑しな事言われてる しかも 仕事の収入がないので生活も不安な状態 

将来の不安がない状態で喜びに満ちた自分 
今からでも行動したいですが 全くの目的たなりたい自分が分からなくて努力もできない どうすれば 努力でき し続けることができるようになれるか 教えを 教えて下さい


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

月並みなことしか言えません。ごめんなさい。

私はランドさんよりずっと人生の経験が足りません。

高い学識を備えているとか、人間関係が豊かであるとか、生活に充実しているとか、どれもこれも仏教は「無常」と説きます。 常ならぬもの、その不確かな価値よりも、ずっとずっと重みのある、すべてに勝るものがランドさんにはあります。

それは、ただいま正に「いのちを生きている」という事実そのものです。

人は、生きるということがどれほど苦しく困難であるか、私のように人生経験のない者は年を重ねることや、両親と別れること、職を失うこと、、、、お聞かせ下さった文面から想像はできても、それによって人生の何たるかを自らのことばで説くだけの絶対的な「いのちを生きている」経験を持ちあわせていません。

私がランドさんに唯一お伝えできることは、私自身の月並みな慰めなどではなく、お釈迦さまがお説きになられた、仏教、その教えしかありません。

仏陀は次のように弟子に言葉を残しました。

・弟子「仏の道とは、よい人と出あえたならば、その道の半ばを達成できたと言えますか」
・仏陀「それは正しくない。仏道とは、よき人と巡り会う、巡りあいそのものがその道の全てである。決して道半ばではないのだ」

私という「いのち」は結局、良いことも悪いことも、前に進むも後ろに退くも、人との関わり、巡りあいからしか出発しないのだと聞かせていただいています。

私が他人と巡りあう結果は、誰にもわかりません。けれど、独りであることから離れて外へ歩み出すとき、何かが変わるのかもしれません。何かに出あうのだと思います。

月並みなことしか言えませんが、お近くのお寺の法座へ足を運んでみませんか。浄土真宗や様々な宗派のお寺では毎月の法話会を開催しています。明日、気になったお寺に電話してみて下さい。
お寺は、ランドさんを迎える準備ができています。ランドさんがお試しで足を運べる場所、椅子を用意しています。
私たちはランドさんと一緒に人生を歩み続けたいと願っています。

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有り難し
おきもち

北海道の内陸にある浄土真宗の寺院を預かっています。法名(仏弟子の名前)、釋...
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質問者からのお礼

巡り合いの神秘と重要性がいかに 重要だと分かりました。
積極的に 外にアプローチする事が 変われる 切っかけ だと 再認識できました。
閉じこもり 金縛りの状態からの 脱出だと分かりました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ