ルッキズムから解放されたい。
はじめまして。お世話になります。
今回は会社の同僚について相談させてください。
一年ほど前に転職した今の職場には同性の同僚がいます。
ありがたいことにその方は私に好感を抱いてくださっているらしく、頻繁にランチへ誘われるのです。
さて、私の母は非常に外見至上主義者でした。
街を歩けばやれ「あの人は細すぎて鶏ガラみたい」「あっちの人は太ってて醜い。デブは社会悪」など道行く人を品評してはひそひそと耳打ちしてくるのです。
人間の魅力は外見だけではないと思いますし、そもそも他人の見た目にケチをつけるのは浅ましい行為だと思い、そんな母が恥ずかしく、長年内心軽蔑してきました。
ところが、こちらの同僚があまりにも個性的な顔立ちをしており、正直に申し上げまして食事を共にするのが辛いのです。
“自分は母とは違う”と思っていたのに、こんなにもルッキズムに支配されていた事実を突きつけられるのも、真正面にあの個性的な顔を据えながら食事と会話という親密度の高い行為をするのも耐え難いのです。
どうすれば視覚の支配から自由になれますか?
また、上記のような思いから最近はランチの話を持ち出された途端に「そうですね〜」で会話を切り上げてその場を立ち去ったり、私の方からは一切具体的な日付を提案しなかったりなど察しの良い人であれば『こちらは乗り気ではない』と伝わるような態度を取っているのですが、一向に諦めてくれる気配がありません。
毎度毎度同じ話をされて流すのもストレスになりますし、はっきりと「もうあなたとランチしたくない」と言うのも角が立ちそうで心配です。
感じよく距離を置けるような断り方はありますでしょうか。
お忙しいところ恐縮ですが、ご回答いただけましたら幸いです。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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最後は過ごした空間の雰囲気・印象が強く残っていくものです。
今まではどうだったのでしょうか?
どうしても、印象って残っていくものですが、意識をするとそこだけに目がいってしまうものですよね。また誰にでも好みがありますから、そこから受ける印象は違ってきます。
知り合いと食事をする時に、いろんな印象が残るものですよね。私だったら、(あの人オシャレだったなぁ〜、良い物を持っていたな〜、良い匂いがしたな〜、興味深い話だったな〜、凄く楽しかったな〜、店の雰囲気が良かったな〜、また来たいな〜、料理がイマイチだったな)など、いろんなことに目が行きながら、最後は過ごした空間の雰囲気・印象が強く残っていくものです。ですから、内容や周りに気を取られて、一緒に食事をした人の服装や容姿があまり思い出せない時もあります。次に会った時に、「その服、素敵だね」と伝えたら、「これお気に入りで。前回に会った時も同じものを着てたんだよ」と言われて、あれ?そうだった?思い出せないと一緒に笑い合ったこともたくさんあります。
人は、いろんなものを見ているわけですし、いろんな情報を得ながら、記憶として残っていくものなのでしょうね。
あなたは、今までのランチの時に、その方の容姿だけを見てチェックしながら過ごしてきたのかな。今までは気にならなかったのでしょ?
私は、食事マナーが悪い、食べ方が汚い、清潔感がないというような総合的に映る容姿で苦手な人もいます。あなたの場合、ルッキズムではないと思いますが(何に対しても全て外見で価値を測ってしまうのですか?)、もしかしたら、そんな雰囲気も感じる同僚さんなのではないですかね?
耐え難いと感じるなら、お弁当を持参するなどしたらランチは断りやすいですよね。