上司に自分の意見を述べて後悔しています
初めまして。看護師をしています、女です。
今の病院に来てからはまだ数ヶ月しか経っていません。
先日、医者や看護師(看護部長や師長などの上の方々)、放射線技師や臨床工学技士などの様々な職種が集まるカンファレンスがありました。議題としては数年前に医療事故があったそうで数名亡くなっている。その事故の原因となった治療を再開させて良いかという内容でした。
今回議題に上がっていた分野は、前職で最前線の病院で働いていたので助けられなかった命を何度もみてきており、それが続いたことで自分の精神的負担が増えて数ヶ月ほど現場から離れたこともあります。
今の病院では設備が整っていないこと、知識や経験不足があるから再開をするのは不安である、もう少しシュミレーションなどをしたいと上の医者たちに意見をしてしまいました。
命に関わることなのでつい熱く語ってしまい、その場ではなるべく言葉を選んで発言したつもりなのですが、家に帰ってから「なんであんな出しゃばってしまったんだろう。たまたま時間が空いていたから師長さんについて行っただけなのになんで黙っていなかったんだろう。新参者が上の人たちに意見をしてウザかっただろうなあ。私なんでいつもこう意見を言ってしまうんだろう。誰か傷ついてたらどうしよう。私のやったことは正しかったのかな」とずっと頭の中でぐるぐるし後悔しています。
昔と比べて、発言する前に本当に言っていいのか深呼吸するようには心がけていますが、いまだにこのように言葉が出てきてしまい意見を言わないと気がすまなくなり本当に嫌になってしまいます。
取り消せない言葉の後悔の対応、上の方に意見してしまった傲慢な私へ何かご意見をいただけると嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
正義をふりかざさないこと
正義ってカッコいいですよね、正義のヒーロー、正義の味方、勧善懲悪などなど。
日本人て特にそう言うの好きな人種だなと思います。例えば水戸黄門なんて典型的ですよね。
でも、世の中の現実はそうではありません。ロシアとウクライナ、ハマスとイスラエル。多分どちらも正義の戦いをしています。正義と悪では無く、正義と正義が争うのです。だから厄介ですよね。
話を戻します。あなたはより良い医療のために、病院のために、患者さんのために、ご自分の正義をふりかざしたのですね。
私はそれはそれで大切な事だと思います。そう言う意見を言う人がいて良い方向に向かうこともあるのですから。
だけれども、その発言のタイミングや置かれているご自分の立場も考えないといけませんね。善を強引に推し進めれば他者からも反感を買います。他者も善を進めたいと考えているからです。
あなたは真摯に仕事に取り組んでいるからご自分の正義を通すべきだと思ってしまうのだと思います。それは悪いことでは決してないけれども相手がどう思うかを計算することも必要になります。何故なら折角良い発言をしても反感を招いては逆にあなたの意見が通らなくなってしまうからです。
私には医療のことは分かりませんが、あなたはとても真面目で正義感のある方だと思います。
仏教の教えに有無の邪険を破するというものがあります。有るとか無いとかを自分の正義の名を借りて主張してはいけないと言う戒めです。
でも私は全ての事柄に対してあなたの言動を否定しているのではなく、相手の意見を尊重しつつ、ケースバイケースで妥協もしながらご自身の意見を言うべきだと思います。つまり、分かり易く言えばあなたの真面目を封印するのです。相手の状況や意見を考慮しながら、ある意味ずる賢くても良いから「調和」を考えるのです。
あなたが一方的に主張をしてしまえばあなたの心配のような事が起こります。
それにはご自分はほんとうに正義なのかを常に疑いながら意見を考えるのです。自分も間違っているかも知れないけれどこの部分だけは譲れないと言うかそう言う事ってありますよね。まぁ、空気読むって大人の社会では大切です。
取り留めもない回答になってますけど、なんとなく分かってもらえますか。
結論、あなたの仰るように深呼吸して発言する前に考える。でも絶対外せない事は言うべきでも自分が絶対の正義と思わない。応援します。
怖いですよね。
ご質問拝読いたしました。
愚僧は医師でも
看護師でもなく、
単なる、柔整師、
精神科PSW、SWに
過ぎません。
それでも、
整骨院を開院した初日に、
肋骨不全骨折の患者さま
が急患で来院されたり。
足関節の開放性骨折の
患者さまが飛び込んで来たり。
扱える範囲を遥かに
超える患者さまが
来院されることがあります。
もちろん、緊急処置、
止血、圧迫、固定して、
救急車を呼びました。
落ち着いた振りをして、
平然と立ち回りましたが、
内心は不安でいっぱいでした。
人の身体を預かることの
怖さ。いまでも怖いですよ。
職員にも
人様の大事なお身体を
お預かりしているのだから、
絶対に無理をするな!
と言っています。
あなたの意見には、
大変共感、共鳴します。
臨床、経験がものを言う世界
だと思います。
命の尊厳
一般の企業で、
A案、B案どちらにする?
先輩や上司を差し置いて、
言い過ぎたかもしれない。
と言う世界とは
違うと思いますよ。
正当な発言だと思います。
話はよく変わりますが、
最近愚僧は、
法要の時に気合いを入れて、
一期一会の読経を
心がけています。
気合いが入るので、
声が大きく、
とても早いです。
たくさんのお経を
あげます。
目の前の仏さま
葬家の皆さまに真剣に
向き合いたいと
思っています。
お粗末な自分ですが、
こうした生き方しか、
できません。
あなたも、
そのまま進んでください。
そのままのあなたは、
素晴らしいと思います。
ご活躍を祈念しています。
別にいいのではないのでしょうか?
具体的にどのような発言をして、どのような問題になってしまったのかは分かりませんが、議論の場では誠心誠意意見を言っていただきたいと願っています。
日本人は比較的、忖度して意見を濁す傾向があり、それを美徳としておりますが、何かを変える力のある人は、いつの時代、どこの国でも、意見できる人だと思います。
そういう意見の言える方は貴重です。
医療関係での議論ということは、私達の命に関係してくる問題です。ある意味で人の命を預かってるということです。それを何処ぞの政治家みたいに、自分たちの都合で決められては、私達としてはたまったものではありません。
しかし、私達は意見を言いたくても、その議論の場に行くことができないのです。だから、私達はより良くなるようにと、その場に出る人に想いを託すことしかできません。
なので、りーさんは私達の未来のために戦っているのだと思います。時には嫌われるような発言もしなければならないかもしれませんが、それはきっと私達の命のためを想っての発言だと思います。だから、私はあなたを応援します。私達のために、代わりに戦ってくれてありがとうございます。
なかには、うまいこと根回しして穏便に議論をいい方向に進める方もいます。その方法もありでしょう。しかし、りーさんはそのタイプではないかと思います。自分の個性全開でやるほうがストレスフリーです。
(しかし、相手を傷つけないような言葉を選ぶのは大切です。でも今はそこを気をつけなくてもいいと思います。)
ちなみに僧侶は(私の見る限りの話ですが)、自由に自分の正義を貫いて活動されてる方も多くいます。組織(各宗派)に忖度してないです。
なので、僧侶は他の宗教と比べてもまとまりないです。組織としてはひどいものです。
組織の上に嫌われながら活動してる僧侶もいます。もう確信犯です。(言葉悪くてすみません)
でも、救われてる方がいます。その方がいなければ、救えるものも救えません。
問題は、人に救いがあるかどうかだと思います。身体的な救いか、精神的な救いかの違いだけで、りーさんの問題も私達僧侶と同じだと思います。
人はそれぞれ、ある程度の範囲で生き方を選べます。権力に忖度して組織で上にのぼるのもよし、他者の救いのために生きるのもよし。
あなたは、どちらの生き方に誇りを持てますか?
質問者からのお礼
側から見れば対したことがない悩みを真摯に向き合ってお答えをいただき大変感謝致します。3人のお坊さんの方々の言葉どれも私の胸にすんと落ちました(表現が下手くそですみません)。後悔のあまり一方通行でしか考えられなかったのですが、様々な考え方をいただき、楽になりました。しっかりと受け止めてこれからも精進して参ります。本当にありがとうございました。
まだまだ寒い日が続きますのでお身体ご自愛ください。また質問させていただくこともあると思います。その時はよろしくお願いします。
側から見れば対したことがない悩みを真摯に向き合ってお答えをいただき大変感謝致します。3人のお坊さんの方々の言葉どれも私の胸にすんと落ちました(表現が下手くそですみません)。後悔のあまり一方通行でしか考えられなかったのですが、様々な考え方をいただき、楽になりました。しっかりと受け止めてこれからも精進して参ります。本当にありがとうございました。
まだまだ寒い日が続きますのでお身体ご自愛ください。また質問させていただくこともあると思います。その時はよろしくお願いします。