敢えてバランスを崩す
人生において、何事もバランスを取ることが大切だと良く聞きます。しかし何事も二面性(バランスを取ることによる弊害)がある中で、なぜその重要性が真理のような言い方をされるのでしょうか。
例えば、食生活のバランスを意図的に崩してみること(ときに、野菜のみ/肉のみ/炭水化物のみ、暴食/絶食、新鮮な食材/悪くなりかけの食材、普段食べない料理にチャレンジ等)は、自身の体の変化への対応力を身につけるためには有用である(むしろ健康を増進する)との考え方もあるでしょう。
また、常にバランスの取れた食事よりも、その時々で食べ物の美味しさ、有り難みに気づけるのもメリットでしょう。
意図的にバランスを崩すことは、仕事や学業や趣味、恋愛など様々なことにも有用と考えております。
何事もバランスが重要との言葉、信じて良いのでしょうか。(上記の例でいくと、長い目で見ると食生活のバランスが取れているとの見方も可能だと思いますが)
仏教ではどのような考え方をされるでしょうか。バランスは時間の経過とともに自然と取られるとの見方や、そもそもバランスを取るなど幻想、私の問い自体がナンセンスとの考え方もあるかと思います。是非お知恵を拝借させてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝読させて頂きました。
自分にとって望ましいバランスつまり仏教的には中道は人それぞれ違っています。ですから色々試してみないとわからないです。いろんなものを食べること自体今の自分に合っているのか合わないのか試してみなければわからないです。しかも年齢によって大きくぶれていくものです。年齢が上がってくるとやはり食欲が落ちますし消化の速度も落ちていきます。それぞれの年齢に合った量や食べ物の質が変わっていくのです。つまりは自分のバランスとは日々移り変わりゆくものなのです、人と違っているのもなのです。
ましてや地域や気候や国によっても食べるもの・食べられるものは大きく変わります、季節によっても変わります。
食生活一つとってもその様にバランスが変わっていくということは、生き方も価値観も考え方や他者との付き合い方や距離感も日々変わっていくと考えてもいいのではないでしょうか。あなたに合ったバランス・中道は全て「諸行無常」で変わっていくのです。
あなたがこれからの未来をあなたに望ましいふさわしいバランスの中で試行錯誤なさり、心身共に潤いある充実した人生を生き抜いていかれます様に切に祈っています。
質問者からのお礼
御礼が遅くなり申し訳ございません。
ご多用のところ、ご回答くださりありがとうございました。
中道について、
①自分の中でのバランス感覚であって、他者との比較ではない
②基準は移り変わりゆく
ということですね。
たとえば、私はいつも全身黒の洋服を着ているのですが、上記観点に基づけば、
①(他者から見れば極端かもしれないが)自分の中ではバランスが取れているとの認識=中道を実現できている
②今後、黒以外にもチャレンジしたくなるかもしれない
と理解いたしました。
中道の定義が分かっていないため、自分でも調べてみようと思います。
改めまして、ありがとうございました!