自分の存在価値
先日、友人新婦の結婚式に参加してきました。
大学時代、ずっと一緒に過ごしてきた仲の良い大切な友人でした。結婚式に出席の際、友人の席には大学時代は私だけ。あとは社会人になってから仲良くなったご友人たちのようでした。新婦らと思い出話で盛り上がるのは社会人になってからの話ばかり。私は疎外感がありました。大学時代の思い出を新婦としましたが、ほとんど、忘れちゃったと。
社会人のお友達との方が凄く楽しそうに最近の思い出話もしていて、私の知らない話に盛りあがっていて疎外感を感じておりました。
素敵なご友人たちで、新婦の友人は、幸せで良かったなぁと思う反面、寂しさも感じました。
特に悲しかったのは、新婦のお母様とお話した時でした。新婦のお母様とは大学の卒業式でお会いしてお話した事がありました。卒業以来の再会で私も嬉しかったのですが、話の中で、「(私が)結婚して数年たつけど、お子さんは?まだ居ないの?数年たってるのに…」と言われてしまいました。
他の出席したお友人は、お子さんが居る方だそうで、「やっぱりね!結婚して数年したらそりゃ、お母さんになるわよね」と会話していて…
それから「(社会人になってから住んでる県)に来て、あなた達と娘と友達になってくれてありがとう」と、私らに話した後に、私に気づいて、少し気まずそうに、「大学でもお世話になったものね~」と、慌てたように言われてしまい、悪気は無いとは思いますが勝手に落ち込んでしまいました。
大学卒業後も、時々会って遊んでいたけれど、私と、他のお友達との熱量の違いにショックを感じてしまいました。
友達って、なんでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どんなときにそばにいてくれる人か。
まずご友人の方へは
ご結婚おめでとうございます。
ものものさん、大切なご友人を祝う席へご招待されたのですから
嬉しい気持ちもありましたでしょう。
一方で、ご友人新婦の、沢山の縁ある方々もいらしたわけですから
色んな想いがめぐってお疲れだったかと思います。
ものものさんにも、気兼ねなく過ごせるグループがあれば
少しは楽な気持ちでいられたかもしれませんね。
出席者が気兼ねなく過ごせる場をつくるのは
新郎新婦の役目であり
両家ご両親の役目であると思います。
招待する側ですから。
でも、それってとても難しいんですよね。
お母さまも、そのお声がけはちょっと冷たいなと感じますけれども
出席する多くの人と接しますから、気が回らないのでしょうね。
ものものさんのおっしゃるとおり悪気はないと思います。
私はコロナ婚であり、小規模の結婚式でした。
ですがそれでも
色んなことに目が向いてしまって
ひとりひとり、ちゃんと会話できなかったなぁ、というのが実感です。
もちろん式も披露宴もこの上ないくらい、一生に残る、とてもたいせつな想い出になったことは幸せでした。
ですが、出席者の方がどう感じられたかは
色々ふたりで反省しました。
反省したって二度とやらないんですけれどもね、たぶん。(👈おい)
人との関わりって
そういうできごとをきっかけにして
色々変わっていくんだろうなぁと
投稿をお読みして思いました。
『熱量の違い』
そうですね。ほんとそうです。
どんなに近しかった人もこんな感じで疎外感を感じてしまうのだなぁと。
出会ったすべての方に感謝、なんて簡単には言えません。
そう言われる側はだいたい置いてけぼりですから。
寂しいな。
寂しいと思いながら、それでも
これもまた門出の祝いというものかなぁと
しみじみするしかないんでしょうね。
でもたとえそうだとしても
次にお会いするときがあったら
どうか祝福の言葉をかけてくださいね。
案外、式後も声をかけてくれる人って少ないですよ。
大切なご友人だったのでしょう。
人って、一番幸せなときに
そばにいてくれる人より
一番つらいときに
そばにいてくれる人ですよ。
ものものさんも、どうかそんなご縁を育んでください。
めげないで、応援しています。
南無釈迦牟尼仏 合掌