死にたいという気持ちとの向き合い方
こんにちは。
初めて相談します。
わたしの中に死にたいという気持ちが芽生えたのは中学生頃だと思います。
家庭環境や人間関係の不安からパニック障害に罹り、2年ほど抑うつ気分、摂食障害と闘いました。
寛解はしましたが、この頃仕事中にパニック発作を起こし、やはり自分は精神疾患と切っても切れない縁があるのかもしれない、と情けないような悔しような気持ちになりました。
結局仕事は休職し、退職しました。自分の人生はどうなってしまうのか。何に向かって生きているのかがわからない。生理前の気分の落ち込みも重なり、はっきりと死にたい、もう終わりにしたい、という気持ちの芽が伸び始めました。
夫もおり、ペットもいます。仕事もまた始めました。簡単に終わらせてはならない、人に迷惑をかけてはいけない、そう思うたびに、なぜか虚しさに心が支配されます。カウンセリングも受けていますがそれで心が救われるといまいち思えていません。
ではもうこの死にたいという気持ちと向き合いながら生きていこう。それが合っているのかわからないですが、今はそう思います。そのための覚悟や心得があればぜひ教わりたいです。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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心を整理する朝のルーチン
様々なストレスを受ける現代社会です。
これは老いも若きも避けられない世になってしまいました。
明らかな不快、不満もあれば、気づかないうちに受けるストレス
(気にならない程度の騒音など)。
睡眠が脳を休めるのと同じように、心も休めてあげなくてはいけませんね。
心を休めるとはどういうことでしょう。
何も考えずにボッーっとするか?
心をゾーンにして無意識に時間を費やすことかもしれません。
私が行っているのは、毎朝のお勤めとは別にとある壁に向かって
読経(心経、真言)することです。約10分のこのルーチンを終えると、
すっきりし、何か鎧でも身にまとったように、またエナジードリンクを
飲んだ時のように、ポジティブになります。
目の前にあるのは「壁」ですので、頭の中ではいろいろな仏様を
浮かべています。何気なく始めたことですが、毎朝のルーチンに
なってしまいました。
義務感が出てきてしまうと本末転倒ですが、いまでは毎朝、
このルーチンを楽しんでおります。
壁とも毎朝、問答、意見交換しております。
その中で、整理できたことも多々あり、
「いつ死んでもいい」という気持ちが得られます。
そう思うと、今度は「じゃ何かやってやろう」という気持ちが芽生え、
前向きな生き方ができているように感じております。
朝活として、「ホトカツ」なさってみませんか?
何か迷いがあっても、この朝でリセットボタンを押せますよ。
当方は真言宗ですので、お気に入りの仏のご真言を覚え、お唱えされることをお勧めします。
「仏」「ご真言」で検索してみてください。
合掌
追伸:小学生の時に最初にインプットされたご真言です。
おんくろだのううんじゃく
これは朝活ならぬ腸活にもなりました。