やはりこの世界は信用に値しない
また新たな戦争が始まりました。明日は我が身でしょうか。
「報道しない日本メディアはダメだ」と言われています。私たちは平和ボケしているのでしょうか。まあ日本が戦争に巻き込まれるのも時間の問題ですね。私たちに未来なんてない。現実なんて汚らしくて残酷なものでしかない。
この世界のシステムに耐えきれなくなった憎悪が世界中で噴出し騒乱を巻き起こしているマクロな事実と、そんな完璧ではない人間という生き物から一方的に「あなたが間違っている」「あなたが変わればうまくいく」と言われ続けたミクロな怒りが混ざり合って何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えません。だから生きているのが嫌なんだ。
仏教だって結局、生きるも死ぬも理不尽しかないものだから何か納得できるだけの理由をこねくり回した結果でしかないでしょう。「全部私が悪いので悔い改めて、私の全部をこの世界に捧げます」と生きなければこの生命という不愉快極まりないシステムから解放されないのですか。喜んで火の中に飛び込む兎になれと。結局望まれているのは自己犠牲じゃないですか。生き物は、自分のために自分以外のものが犠牲になることを望んでしまうものなのです。
どれだけ努力したところで、自分とは関係ないもっと大きなものによって簡単に潰される。この国のシステムも欠陥だらけで有事に対応できると思えない。いつ殺されるかわからないから、いま生きていることに感謝すべき? そう思うにはこの世界はあまりにも汚らわしすぎます。ずっと言ってきましたよねこの世界は生きるに値しないと。その決定的証拠がまた一つ増えたんですよ。生きるも死ぬも誰かの天秤の上。人権なんて初めからなかった。第三次世界大戦はいつ起こりますか? 私たちは死ぬ準備をしなければなりません。
薄氷の上の平和すら貴重品となってしまった世界で、その平和の中にいながらうまく生きられない罪悪感。自分の在り方を否定され続けてきたが故の「どうせ自分なんていらないんでしょ」という感情と閉塞感。秒読みとなった戦前危機に対する焦り。人間という生き物への困惑。未来に対して絶望視しかできない。こんな世界の中でどう生きろと。けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。今の世界を見ても美しいと言えるでしょうか。
結局、傲慢でなければ生きられない世界。2025年を迎えられるといいですね。きっと無理だろうけど。
苦しみが避けられない「生命」というシステムを心の底から憎悪し、「存在していたくない」としか思えない。 否定されるのが当たり前すぎて何もする気が起きず破滅思考気味。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
遠離(おんり)。
こんにちは。
浩文(こうぶん)と申します。
ご投稿の最初から最後まで
だいたい同じことを考えておりました。
今でもそうです。
ひとつだけ違うところをあげるとすれば
『 けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。 』
この苛立ちが
今の自分にはないということです。
納得できる理由をこねくり回して見つけたのではなく、
納得するのを諦めたんだと思います。
これはきっと無理だろうなと。
と、少し考えて
ふと思ったのですが
こういうところから出発するのが
ひとりの人間としての出発地点かな
と考えたりします。
この世の裏を見てこそ
この世の表が際立つ。
"裏を見せ 表を見せて 散る紅葉"
南無釈迦牟尼仏 合掌
質問者からのお礼
この世界に裏も表もありますかね。受け入れ難い今の惨状が全てではないのですか。この世界はクソだと諦めるしかないのですか。
私のことを散々「正しくない」と否定してきたこの世界がちっとも正しくないという事実に対する恨みが極めて強い状態です。けれどこの世界には私の居場所がないから自分を加工しないといけない。それが腹立たしくて仕方ない。少しはこの世界が私に合わせる努力を見せるべきでは。私を殺しておいて正しくない世界を続ける愚かさが許せない。
https://togetter.com/li/2237572