夫が急逝しました。
初めて投稿いたします。
私はうつ病を抱えております。
答えが欲しいというより聞いていただきたいのです。
今年の2月、長い間病と闘ってきた夫が急逝しました。
夫は若い頃から腎臓と心臓に病を抱えていて、40代で人工透析を受ける事となりました。
それも長期になってくると身体に負担がかかります。
不整脈もあって、50代後半には仕事に支障が出るほどに体調が悪化。
そうなると次は腎臓移植です。
しかし移植を待つ患者は多く、順番が回ってくるのはいつになるか。
そこで私は、私の腎臓を移植する事を夫に提案しました。
最初はとんでもないと固辞していましたが、やはり体の辛さに耐えられず、数年かかってやっと承諾してくれました。
このまま透析を続けてもいつまで生きられるか。
それなら私の腎臓を移植して生き永らえる時間を延ばせれば。
そして2020年4月、夫婦間生体腎臓移植手術を受けました。
しかし、ここから再び夫の苦難が始まってしまったのです。
入院中に様々な病気を併発し、退院できたのは2ヶ月半後。
元々筋肉質だった夫は痩せ細り、1人で歩く事もできなくなっていました。
しかし私は心配していませんでした。
元々楽天的で努力家の夫は、私がセーブしなければ頑張り過ぎてしまう人でした。
ところが今回は違いました。
なかなかリハビリを始めない夫を私は叱咤激励し、時にはなじってしまいました。
今なら理解できます。
移植手術は思ったよりも夫の身体に負担を強いたという事を。
もう遅かったのだという事を。
移植を受けたため、夫は免疫抑制剤を常用しなければなりません。
世間ではコロナが蔓延していた時期。
ワクチンは都度接種し、外出時はマスクをし、手を消毒、帰ってきたら手洗いうがいをさせ、注意していたつもりでした。
しかし昨年末、夫がコロナに罹患してしまったのです。
最初はまさかコロナだとは思わず、年末年始という時期もあり、家で様子をみる事に。
ところが年明け早々呼吸困難に陥り、救急車搬送となりました。
そして入院から1ヶ月ほどで、突然心停止し、そのまま逝ってしまったのです。
私は今、悲しみと後悔の念に苛まれています。
私にはまだ実父と義母、そして飼い猫を見送るという役目が残っています。
それを終えたらもうすべき事はありません。
いつか仏様の元で亡き人々の冥福を祈りながら過ごす、それが今の私の願いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
妻の役目を終えて。
香月 様 お気持ちお話しありがとうございます。
まずは、ご主人様の事、ご愁傷さまでございます。ご冥福をお祈り申し上げます。合掌礼拝
虐めにあってきた過去を乗り越え、そして、ご主人との幸せな生活の中で、ご主人に尽くされたこと。腎臓まで提供されて、香月様ご自身もかなり身体的にも精神的にも、負担があったのではと拝察いたします。よく頑張ってこられましたね。
とはいえ、悲しみと後悔がまだまだ癒えないようで、辛い状況のままなのでしょうね。
鬱ということもあり、悲観的な思いや、将来への不安もしかしたら何も考えられないかもしれませんね。
一つの提案として、今、あなたは妻の役目を終えております。今度は新しい自分らしいアイデンティティを築くことを心がけませんか?
何もご主人を忘れようとか、悲しみを抑え込もうというのではありません。悲しみは悲しみとして抱えたままでもご主人とのことも忘れず、二人で積み上げてきた軌跡を誇りとして、自分らしい何かを始めてみませんか?
言い方は悪いですが、自己中でいいと思います。
笑顔になれる趣味、自然と触れ合える何かを探してみてください。
きっとあなたらしい何かが見つかるはずです。
ご主人も仏様の処から、あなたを見守っています。
あなたに感謝も述べられているでしょう。「介護に看病ありがとう」って。
「私は生ききったから今度は、君も生ききってください」って。
「あなたの笑顔を見守りたいんだよ」って。
私はそう思います。
参考にしてください。
合掌礼
追伸:そうですか、趣味がおありで、そうですよね。機械的に過ごしてしまってもいいじゃないですか?変化は必ず訪れますよ。今はまだ踏み出せないだけであって、きっと踏み出せます。ハスノハに投稿したのは、その機会をうかがっている状況かもしれませんね。何か安心や安らぎを感じるようになれば、もっと自分らしく表現できるときが来ると思います。またどうぞお気持ちをお話しください。この度のご縁に感謝申し上げます。再礼
追追伸:お気持ちまでいただきまして有難うございました。再拝
質問者からのお礼
釋 孝修 様
暖かいお言葉、ありがとうございます。
後出しになってしまって大変申し訳ありませんが、実は夫が生きていた頃からたくさんの趣味があり、今もそれらを続けております。
それらのほとんどは、うつからの脱却を試みるために始めたものばかりですが、夫がその趣味について応援してくれていたので、そちらに没頭する日々でした。
なので、ある意味すでに自己中だったのです。
ですが、夫を亡くして、改めて夫の存在が私の中で大きなものだという事を思い知らされました。
いくつかある趣味の中で、発表する場があったり、まだまだ覚えていかなければならないものがあったりと、他人様から見れば充実した日々を送っております。
しかし、私自身は決して満たされる事はなく、ただただ機械的に毎日を過ごしております。
とはいえ、そんな自分を客観的に見る自分もいて、何かきっかけがあれば前を向くというところまでいかずとも、少し足を踏み出してみようと思える日が来るのではないかとも、思います。
誰かに話を聞いて欲しくて、こちらに書き込みをいたしました。
改めまして、お答えをいただき、まことにありがとうございました。
釋 孝修 様
再びのご返信、ありがとうございます。
いずれ別れは訪れるものとわかってはいても、いざその時になった時の心情は、思いもよらぬものでした。
しかし、それでも命が続く限りは自分ができる事をできる限りでやっていきたいと、改めて思う事ができました。
こちらのサイトを知る事ができて良かったと、感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。