家族とは
幼い頃、母からベルトで首絞め、足をペンで刺されたりなど暴力があり暴言は毎日でした。
主人はかなりおとなしい性格な為、母は主人の前でも暴言を吐きます。
私が昨年、病気になり入院する事になり
他県から引っ越したばかりなので知り合いがおらず息子の面倒を母にお願いしましたが断られ、
主人が『もう連絡しなくて良い』との事で1年以上音信不通です。
先日、息子の誕生日プレゼントが母から届き、息子がお礼を伝えたいとの事で何度電話しても切られてしまいます。
兄夫婦も母と3年以上不仲で音信不通でしたが、母が謝りに行き和解したそうです。
兄は良き相談相手だったんですが結婚してから別人になってしまい、
『お前の話、両親の話は俺には関係ないから連絡しないでくれ』と電話を切られてしまいました。
もう実の家族とやっていく気力がなくなり連絡も取れないようにしました。
両親、兄が困った時だけ連絡されるのが嫌なのと都合良すぎるからです。
やり過ぎでしょうか?
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お互いの距離感は家族の中でも違うものです
我々のようは普通のヒトは自分の解釈でしか外部の世界との関係を認識できないので、個々に「こうだ」と思っている関係性は多かれ少なかれ異なっています。極端なことを言えば、こちらから「親」「兄弟」と思っていても相手は「いつも顔を見る人その1」であったり「頼むとお金をくれる便利な人」だったりします。
そのような齟齬をうまく遣り繰りして大過なく生活していくためにお互いにコミュニケーションをとり(良い意味で)忖度してその場その場をやり過ごしているのです。
別の場所に住むようになったり、生活環境が変わると、その安全弁としてのコミュニケーションや忖度を働かせる頻度がどうしても少なくなります。結果として、お互いに見えている「関係性」の齟齬が明らかになってくることが多くなります。
まず自分の気持ちを落ち着かせるには、まずそもそも相手と自分では思っている「関係性」が違うのだと納得することです。頭ではわかっているつもりでも「どうして相手は自分の思う関係性に沿っていないのだろう」と心で解釈し判断してしまうことから苦しみが生じます。「そういうものだ」といったん受け入れることで、自分の内側から直接生じる苦しみはかなり軽減できるのではないでしょうか。
我々ヒトは苦しみがあると、それを早急に取り除きたくなります。熱いモノを押し付けられたら反射的にそれを払い除けようとするのと同じです。ところが自分の心から生じる苦しみは手でホイっと払い除けることができません。苦しみが続くと困憊して無気力になったり放り出してしまうことになります。
相手ともう関係を断ってしまうのか、ある程度の関係を保っていくのか、こちらから積極的に関係を修復した方がよいのか。最善の選択肢は、その時、その場で違います。また時間の経過と共に変化します。
まちがいなく最善の選択肢を選ぶことができるよう、まずお互いの思っている関係性の齟齬をそういうものだと受け入れてみると良いのではないでしょうか。
質問者からのお礼
ご丁寧な回答下さりありがとうございます。母が寝たきりになった時、兄夫婦に頼まれても都合が良く思えるので、母、兄には今後、困難があったとしても一切支援は致します。と手紙は送りました。
私もパニック障害など病気がある為、限界があります。回答いただき気持ちがホッとしました。ありがとうございます。