どこか他人事みたいな感覚に違和感
最近、末期癌の父を母と自宅で看取りました。急変したので未だ実感がなく、葬儀以来泣けないです。痩せ細りしんどい姿を見るのが辛かったですが、父が当日まで生きる意欲で頑張ってくれたので、看護疲れももなく楽しみながら濃い時間を過ごしました。父も死んだことに気付いてない気がするほど、あっけなく…
かなりのファザコンで父の死後、生きていけるか恐怖で仕方なかったのに今、変わらず生活出来てる自分に戸惑ってます。5年前、私も癌を経験しショックはなく逆に父より先に逝けると思った程なのに、、(父のショックが酷いので父の為に闘病乗りこえましたが)
父が逝く五日前に母にも癌が見つかり、今後手術二回、抗がん剤を控えてます。
父の闘病中から毎週2泊帰省する生活を変えてません。もうすぐこの生活が1年になり苦ではないですが、無感情と言うか他人事の様に日々をこなしてます。自分が分からないです‥
他人に嫉妬する事は余りなく、自分の行動が人にどう思われたか気にしすぎ疲れる。
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このような心の状態もあっていい
ハッピー 様
喪失体験をすると、人は哀しみを中心に、混乱、怒り、回避、抑うつ、諦め、などの感情を行ったり来たりして繰り返しますが、あなたの言う、他人事のような感覚で違和感というのは、おそらく頭では喪失の事を理解していても、心の方が受け入れていない状態で、回避と抑うつの感情の中かなと思います。慣れた道の方向を意識せず歩いているような、ちょっと無感覚に近い状態と言えるかもしれませんね。
でも、誰にでも起こりうることで、このような心の状態もあっていいと思うことが良いと思います。グリーフの過程のひとつだと理解してください。
今の自分の状態を受け入れて、こんな時は、感情のままに振舞っていいと、自分を許すことも一つの方法ですし、そこまで準備ができていないようだったら、人と距離を取ってみて、誰とも会わずに泣きたいときは泣き、暑い寒いとか、冷たい風を感じるとか、花が咲いていることに気づくとか、自然を感じるようにすることも、素直な感情に気づくことのひとつになります。
それにしても、お父様に続きお母様も、そしてあなた自身も過去にはがんの闘病の体験があるとのこと、大変な思いをされてきましたね。今もお母様の事が気になると思います。おそらく緊張感や体の疲れもピークなんじゃないかなと思います。
他人事・違和感は緊張感や疲れを言い訳にしたくないために頑張り過ぎたことからの感覚かもしれませんね。
ご自身の身体をいたわること、心身ともに癒すことをもっと心がけていいんですよ。誰かに助けてもらって、休んでいいんです。利用できるサービスは全部利用するつもりで、自分を楽にさせてみましょう。一人だけで抱え込み過ぎないように気を付けてくださいね。参考にしてください。一礼
追伸:お礼メッセージありがとうございました。力を抜くことは大切ですね。日々少しずつ何かしらリラックスタイムを設けると段々自分なりのペースがわかってくるのでは、と思います。またどうぞご相談ください。この度のご縁に感謝申し上げます。再礼
質問者からのお礼
釋様
ありがとうございます。
“慣れた道の方向…”など言葉に出来ない感情をコトバにしてもらえコレ!っと自分を理解する事が出来ました。
今の自分はおかしくない、「これでいい」と安心しました。
甘え下手で限界が分からなくなる事が多いので、もう少し力を抜いてゆっくり進んでみます。