他人を傷つけてしまった誤ちは償えますか
男性にフラれ、悔しさと嫉妬のあまり、彼の相手の女性に全てをバラし、傷つけてしまいました。
彼への未練というより、自分のしてしまった事へ後悔と未練があります。
謝りたくて、電話をかけてもメールをしても彼は取り次いでくれなくなりました。
自分のしてしまったこの未熟な誤ちを、日々後悔し落ち込んでしまいます。
楽になりたいなんて、勝手なお話ですが、少しでも救われるにはどうしたらよいでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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償いはこれからの行い次第
めぐ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
この度は、嫉妬などの煩悩による過った行いへの後悔のお気持ちを表されました。このことは誠に「慚愧」として仏教において大切な善い行いとなります。
「慚愧」につきましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いております。
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1008111663.html
『・・「慚愧」することから、更に、二度と同じような過ちはしないこと、相手に会うような機会があれば、反省や謝罪の思いを伝えること、もしできることがあれば償いを行うことも大切なことにはなります。・・』
問い「罪悪感」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_321867.html
もしも、その方への直接の謝罪や償いがまだ難しいとしても、しっかりとこれからの行いをできる限りに善徳行・慈悲行・利他行として努め励むことで、今お苦しみである後悔や未練のお気持ちも少しずつ和らげさせていくことはできるのではないかと存じております。
また、下記問いの拙回答にて「懺悔文」というお経について扱わせて頂いておりますので、この機会に少しくご参照頂けましたらと存じます。
問い「幸せでも良いのでしょうか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1008050052.html
「我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡 従身語(口)意之所生 一切我今皆懺悔」
「・・私がその昔より諸々の悪業(悪い行いの集まり)を積み上げてきてしまったのは、全て、無始(始まりのない過去)以来の貪・瞋・癡(貪りの心・激しい怒りの心・真理を知らない愚かな心)を原因として、身・語(口)・意(身体、言葉、心のそれぞれによる行い)によって生じるところのものです。私は今まさにそれらの悪業の全てを懺悔致します。・・」
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌