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御供養に関して回答受付中

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有り難し有り難し 10

私は普段神様や仏様 幽霊 等の
スピリチュアルなものには特に信仰心や
縁のない生活をおくっている者なので
ここで相談していいものかわからないのですが…
私は小学生〜中学生の間に
繰り返しきいた戦争の話が忘れられず
毎年地元の大半が焼けてしまった
空襲があった日にお水をお供えしています
もうかれこれ10年?15年?程度続けております
もし私の見えない世界があった場合に
その凄惨な光景を繰り返している方がいたら…
いまだに苦しんでる方がもしいたら…
そう思ってしまったあの日から
5月のその日が近づくと頭に空襲警報の音が響く様な感覚がし
当時の私ができる精一杯の事がそれくらいしか思い浮かばず
今も続けているのです
せめてもの思いで冷たい水を誰かへ、それだけの想いです。

そんな中今年、初めてその日に体調を崩してしまい
お水をお供えできず…申し訳ないと感じ
体調が戻った日から終戦記念日まで
今年だけは続けよう、80年目でもあるし…
と思いキャラメル等のお菓子とお水を一杯お供えし続けてます

そして終戦記念日が終わったら一旦生活を戻し
今後は体調を崩さない限り
年に一度のお供えに戻そうと考えてます

そこでひとつもやっとしてる事が…
いきなり終戦記念日からこのお供えをやめるというのも
なんだかすっきりしないのです
なので音源等を探し本職の方の読経を流し
しっかり手を合わせて
ちゃんと謝罪と忘れないで受け継いでいく意思を伝え
送り出させていただきたいなと考えています。

その場合どのお経が一番慰霊として寄り添えるでしょうか…
もちろんどんなに長くとも今年の終戦記念日には時間を取り1日家にいて
しっかりと送り出させていただこうと
思っているので大丈夫です
お恥ずかしながら29にもなって無知すぎて分かりません
どなたかご教授いただけると幸いです

2025年6月9日 1:02

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏法僧の三宝を敬うおこないに勤める 

その昔、愛する人を無くされた方がその方のお弔いとして当時土葬だった時代ですが、毎日のようにお墓に参ってお手を合わせておられたそうです。次の日も、その次の日も、雨に日も、暑い日にも、寒い日にも。
やがて、その人はお墓で冷たくなってしまっていたそうです。
いくら愛する方をお弔いしようという心があってもこういう哀しいことがあってはいけないということで、お弔いをするべき期日を定めて供養しようということが生まれました。関東発祥の七本塔婆というものも、そういうものでもあったのでしょう。家族が亡くなられたとしても七日ごとにご供養をする。
遺族にも今を生きる人たちにも今という生活があるからです。
人は誰でもこの今という時を最高最上に用い得てこそ、最上の道を歩む人となりえるのです。
ですから、あなたがやっておられる立派な供養の気持ちもさらに進んでより良い形へと向かわせるべきであろうと思います。
私が当時の戦災でなくなってしまった人の立場であるならばの話をいたしますと、私がもし願うこととは、やはり争いや奪い合い、犯罪や非道、人が悲しむようなことがない世界を作って欲しいと願うと思います。
水も飲めずに亡くなられた方も多数おられたことでしょう。痛ましい限りです。
ですが、国のハンドル、主導権を握る人たちがおかしなことをして争い合うことなどをしなければ、当時の日本も安全だったのでしょう。
人がそもそも争い合うということは何のためにするのでしょう。
自分が先に被害にあいたくないとか、相手に酷いことをされたから怒ってひどい目に合わせてやろうと思ったり、国益のために相手の人命人権を尊重せずに侵略を師たりと間違った正義や主義思想をふりかざしているわけです。他にも様々な理由がありましょう。
そういう、人間全般に通じる、心の弱さや、不安や恐怖心や競争心、全体の利益にならないことが価値とされてしまっていることが、世の中を今後も別の形での戦争に導いていると思います。
だからこそ、人の不安や憎しみや争いの心、修羅界の心をおさめる為にも、お経が説き示すところの内容を行の供養として実践されることが本当の意味でのお経を読むということになろうと思います。
人間の世界でこれこそが価値だ、勝ちだ、優位だと思っているものは、本当は哀しいものばかりです。真実の価値のあるもの。それが仏法僧の三宝という敬われるべき三つの宝です。

2025年6月9日 7:10
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

尊い行いです、可能な範囲でなさって下さい

拝読させて頂きました。
あなたがそのようにお亡くなりになられた方々を心込めてご供養なさりお供えなさることとても尊いお考えですし、行いです。あなたのその様な尊い功徳は必ずやお亡くなりになられた方々へと届いていくことでしょう。
私も場所は違えどもお亡くなりになられた方々が必ず安らかになります様に一切の迷いや苦しみから救われます様に心を込めてお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
お亡くなりになられた方々は必ず仏様や神様がお導きなさって下さり、ご先祖様方がお亡くなりになられた方々をあたたかくお迎えなさって下さいます、そして仏様や神様のもとにて一切の迷いも痛みも苦しみからも救われていき、ご先祖様と共に安心なさり何の憂いも渇きもなく清らかに円満にご成仏なさっていかれます。そしてあなたの優しいお気持ちを受け取られ心から感謝なさるでしょうし、あなたのことを優しくお見守りなさっていて下さいます。
あなたがご供養なさりお供えなさる範囲はあなたの体調や状態で可能な範囲で大丈夫です。あなたのその思いはもう既に届いているのです。どうかご安心なさって下さいね。
あなたがお亡くなりになられた方々にお経を伝えたいと願うならば、私のお寺一向寺のLINEページのメニューにあるお経を聴くところに入ってみて下さい。3パターンのお経が流れます。それぞれ1分30秒程度のお経が流れますから無理のない範囲で流すことができると思います。ぜひお亡くなりになられた方々のご供養の為にお流しなさって下さいね。
また私は今年8月15日正午に一向寺本堂にて戦災でお亡くなりになられた方々の追善法要をお勤めさせて頂きます。毎年同日同時刻にお勤めさせて頂いています。私の生きている間可能な限りお勤めさせて頂きたいと思っております。
場所は違えどもどうかご一緒に心を込めてご供養なさって下さいね。
あなたのご供養の功徳が仏様や神様やお亡くなりになられた方々に届きます様に、お亡くなりになられた方々が心安らかになります様に切にお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ

2025年6月9日 11:07
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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

まさかお返事いただけるとはありがとうございます。
自分の周りではこういった事に詳しい方がいない為困り果ててここに行き着いたので…
神道 等ではなくこちらに書いた理由としましては父の実家がお寺と聞いていて
こういう時なんとなく直感でそちらに合わせた形で行った方がいいのかなと思ってしまうのです。
ちなみに父本人は絶縁されてる上に自分の実家の詳しい事は一切語らず
ある日忽然といなくなったので…
本当に特に何も知らない私としてはただの直感で…
何かあった時やこういう時はお寺に頼ってみれば良いのではと思ってるだけです。

そして脱線した身の上話が長くなりごめんなさい、
ご丁寧なお言葉をありがとうございます。
正直 無知蒙昧な私には難しく感じてしまう部分もあったのですが
何度もお言葉噛み締めさせていただいて…
今生きる中で日常の中であの凄惨な戦争の犠牲者の方々の想いを汲み
行動で示していく、それが1番供養になるという事なのだ
と解釈したのですが…この解釈で大丈夫かどうか不安です、ごめんなさい。
優しいお言葉をいただき少し心が軽くなりました。
本当の意味での行動で示す御供養、今年の終戦記念日、来年からの事…
もう少し自分なりにどうすればいいか自分で考える事も大切なのだ思いました。
もう少し悩んで考えてみます、ありがとうございます。

まさか2件もお返事いただけるとは…
ご丁寧なお言葉をありがとうございます。
〝一向寺〟様ですね、覚えておきます。

私は優しいといわれるような人物ではないのです、
一種の罪滅ぼしやエゴイズムも兼ねているので…
平和教育に力を入れていた学校に通ってた関係で
当事者のお話は勿論、イラストや当時まだ出始めたばかりのカラーにした写真
空襲直後の街並やご遺体の写真等も使った
授業を繰り返しうける度に当時正直憂鬱な気分になってしまっていて…
〝無理しないで休んだ方がいい〟と周りに心配される程に数日間ご飯も喉に通らず
数ヶ月間は夢で魘されるくらいの衝撃を毎度うけておりました。
元々創作物であってもそういった光景に対しての耐性が極めて弱かった事、
まだ10代になりたてだったという歳も関係あると思います。
ただその一方であの時代を生き抜いた方々と触れ合い愛と祈りを感じる事も沢山ありました。
〝あなた達に語り継いでほしい〟
と思い出したくもない光景を思い出しながら声を震わせ涙をこぼしながらも語ってくださるお姿
時に童謡や当時可能だったらしい室内での遊びを一緒にさせていただき
〝あなたは亡くなった妹に似てる、今日はあの子と遊んでくれてありがとう〟
〝息子を結果的に火の中に置き去りにしてしまう事になって…あれからこんなに心につっかえるものなく当時を振り返り楽しいと感じられる事はなかった〟
と声をかけていただくこともありました…
そんな触れ合いの中で当初写真や証言に対して拒絶してしまうかのような反応を示した事に
申し訳なさがつっていきました、
〝元は同じ人間であの光景は現実〟
〝私にできることはなにかないのか〟
そして毎年8月そして5月は少し無理をしてでもその凄惨すぎる
悲しき事があった一端に触れられるよう努力はするべきだと考えるようになり
合わせてその日に向け体調管理や御供養も始めました。
なので今年は本当に予想外でどうしようかと考えている中
悩んでいた時に友人がここを教えてくださりました。
自分の少しもやっとした気持ちを晴らすためもあるので
偽善やエゴイズムに近いかも知れません、
それでも〝なにもしないより行う事に意味がある〟と思い
ここのご意見もききしっかりと想いを届けられるよう努めますね。
本当にありがとうございます。

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