お別れした命との向き合い方が解らない
最近立て続けに
大切で、愛する命とのお別れがありました。
以前にもお別れは経験しているのですが、
その時もやはりとても辛く悲しい日々が続きました。
過去の別れの時も、現在も、
ふと涙が出てしまったりします。
そんな感情とは裏腹に
お別れをして一週間もたっていないのに、お腹が空いたり、眠くなったり、何気なくついているテレビを見て笑ってしまう。
そんな日常を迎えつつあり、自分がなんだか薄情に思えて許せないような、悲しいようななんとも言えない気持ちになり、日常を迎える事に罪悪感のような気持ちがあります。
私は母と二人暮らしで、
母も辛いはずなのに、そんな私を見て優しい言葉をかけてくれます。
「そばにいてくれているよ」
「大切に想っていた気持ちは伝わっているよ」
「あなたが元気にならないと、◯◯は自分が亡くなった事であなたを悲しい気持ちにさせてしまってるって、心配して苦しい気持ちになっちゃうよ」
そういった言葉をもらい、
そばにいてくれているんだな。
楽しかったし、ありがたかった、沢山愛することが出来た。
と、思ってみたり、
お別れをした相手も私と同じ気持ちであった。
と自分に言い聞かせてみたり…。
そうすることで少し心は落ち着くのですが、
「そばにいてくれている」
私にとってはとても心強い言葉で、
そう願いたいのですが、
もしかしたそれでは成仏をさせてあげられないのではないか。と、思ったのです。
無知で恥ずかしいのですが、
私の成仏のイメージは、この世に未練なく天国へ旅立ち、生まれ変わりの準備をするような、そんな感じです。
なので、
私が「そばにいてほしい」と願い、
「そばにいてくれている」と感じてしまうのは、成仏を妨げる私のエゴではないか。と。
私としてはそばにいてくれている事を信じたいのですが、
天国にいってらっしゃい。
と、見送る事が正解なのか…と
どのような心でいたらいいのかがわかりません。
天国はいい所だと信じたいですが知らない土地に送り出すのも不安だと感じたり…
私が成仏に対しての理解がないだけで、
成仏してもそばにいてくれているのでしょうか?
今はお線香をたいて、一緒に過ごせた感謝と愛していることを伝え、そばにいてね。と、手を合わせています。
そばにいてほしいと願う事は良くないのでしょうか
成仏とはどういう事なのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
成仏とは
ご相談読ませていただきました。文脈から拝察しますとあなたがお別れした命とはペットでしょうか。そのように受け取らせていただきます。愛するペットが亡くなる事はほんとうに辛く寂しいことですね。
ペットは飼えば家族です。
私もワンコを2頭亡くしています。家族の中でもとりわけ私に懐いていたのでその分喪失感も増幅したと感じています。
しかし生あるものが死ぬのは避けられません。仕事がら毎日短いお経をあげてお線香をあげています。
さて、成仏とはどういう事なのでしょう。
私は文字通り仏に成るのだと思います。そして仏に成るとはこの世の全ての苦しみ=煩悩から解放される世界に生まれるという事です。そして、仏になって再びこの世に戻って来て私たちを見守ってくださるのです。
つまり、永遠に別世界に行ってしまうという事では無いのです。「そばに居て欲しい」とあなたが願えばいつでもあなたのそばに来てあなたに寄り添ってくれるのです。それが仏と言うものなのです。私たちと仏の世界は一方通行ではないのです。
もし仏の世界が一方通行で全く別世界で隔たってしまうなら、我々坊主が故人の供養をする意味なんて無いでしょう。
そして、無量寿経というお経には全ての命は成仏すると説かれています。ですから、あなたの大切な命も必ず成仏しています。
ですから、あなたのお母さんの言葉は正しいのです。あなたが悲しんでばかりいてはあなたの愛する命はあなたを心配してしまいます。だからテレビを見て笑って良いのです。そして、あなたがその命を想うときいつでもあなたのそばに来てくれているのです。私はときどき亡くなったワンコを感じます。そんな時は「遊びに来てくれたのか、いい子だなぁ」と言ってお線香をあげます。あなたも手を合わせてあげて下さい。合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます、
ご回答頂くまで、どのような言葉が返ってくるのか…緊張しておりましたが、
優しいお言葉に心が軽くなりました。
そして成仏に対する理解が少し出来たような気がします。
これからも大切に想い、手を合わせたいと思います。
ご回答本当にありがとうございます
心が暖かくなるようなお言葉に感謝です。