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死について考えすぎる

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有り難し有り難し 2

昔から死や、明確でない死後の世界に対する恐怖心、不安感に襲われ日常生活でも情緒不安定な生活を度々してきました。
最近昔よりも少し大人になったためもっと複雑に考えてしまい苦しくなっています。
また私は小さな命を3度産む選択が出来なかった時があり
自分自身軽率な行動を取ってしまったために命を産むことが出来なかった。
その命は幸せに過ごして欲しい。
今一緒にいる3人の子ども達も幸せに過ごして欲しい。
死についての恐怖を抱いたまま大人になってほしくない。
でも私は死んだ後も地獄にいって苦しむかもしれない。
でも苦しいのや痛いのは嫌だ。と考えてしまいます。
今とても幸せなんだと感じながら生活しながらそれよりも死に対する恐怖心、不安感の方が強く楽しく日常生活を送ることが難しいです。
来世も人間になりたいと欲がありながら
そんなことじゃ生まれ変われないかもしれないと思ってしまったりして
心が苦しいです。
この先死について考えることは無くならないと思いますが
今生きているこの瞬間をどうやったら恐怖心よりも楽しく幸せに過ごせるか、前向きに生きていくためにどうしたらいいか教えていただきたいです。

2024年1月28日 9:35

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死は一過程です

拝読させて頂きました。
あなたは死に対する不安を抱えて毎日とても心配なさっておられるのですね。先に逝かれたお子さん達のこともとても心配なさっているのですね。今のあなたや皆さんの状況はわからないですが、あなたのそのお気持ち心よりお察しします。
先に逝かれたお子さん達が必ず仏様や神様に救われます様に心から安らかになります様に心を込めてお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏
あなたもその子達が必ず救われます様にと心を込めてお祈りなさって下さいね。
その子達は必ず仏様や神様がお導き下さり、先に逝かれた親しい方々やご先祖様が優しくお迎えなさって下さいます。そして仏様や神様のもとで一切の迷いや苦しみや孤独からも救われてご先祖様方と一緒に安心なさいます。そして何の憂いもなく清らかに円満にご成仏なさっていかれます。そしてこれからもずっとあなたやお子さん達やご家族の皆さんをあたたかくお見守りなさって下さいます。
その子達とあなたや皆さんとのご縁は永遠に続くのです。
いつの日かあなたや皆さんが与えられた天寿を全うなさる時か参ります。その時には必ず仏様や神様があなたや皆さんをお導き下さり、先に逝かれた子達がご先祖様方と一緒に優しくお迎えなさって下さいます。そして再会を喜び合い分かち合い一緒に清らかに御成仏なさっていくのです。
死は一過程です、必ずその後皆さんと一緒に安らかに清らかに仲良くご成仏なさっていくのです。
どうか安心なさって下さい。
あなたがこれからも素晴らしい出会いとご縁に恵まれて毎日を皆さんと一緒に健やかに生きていかれます様に、心豊かに皆さんと幸せに与えられた人生を生きていかれます様に、そして天寿を全うなさる時には必ず仏様や神様が導いて下さり親しい方々がお迎えなさって下さり共に安らかになります様に心からお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏

2024年1月29日 9:14
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

死んでも尚家族が迎え入れてくれるのならと思えば少し気持ちが楽になりました。
ありがとうございました。

「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

死んだら無になることへの恐怖

もう何十回、何百回と回答されているテーマだと思いますが、相談させてください。 ここ数ヶ月の間、死が怖いという気持ちが離れず、夜も眠れないくらいです。 私は恐れているのは、死んだら無になる可能性です。 私は科学を信じている(盲信していると言ってもいいです)ので、人間とはただの物体で、感情も脳の反応だと思っています。 だから人は死んだらただの物体になると考えていて、それがたまらなく恐ろしいのです。 私は両親と暮らしていて、日々の生活に幸せを感じています。 しかし死んだら無になるとしたら、この幸せはどうなってしまうのですか? 両親が亡くなり、私も死んでしまったら、全てなかったことになってしまうのでしょうか? いずれ死んで全てを感知できなくなるのなら、この日々も無駄ということになってしまいます。 「一度きりの人生なら楽しめばいい」と思われるかもしれませんが、死んでしまえば「楽しかったな」とすら思えないのです。 それはいっそ生まれてこなかったとしても、結局は同じということになってしまうのはではないでしょうか? 全てに虚無感を感じてしまって、幸せを感じることすら怖くなっている状態です。 しかも死への恐怖は杞憂ではなく、絶対に避けられないという事実があります。 全ての先人が経験していることですが、どうやってこの恐怖と向き合ったのかがわかりません。 科学を信じている私が、今回ここに相談したのは、宗教的なものを信じたい気持ちはあるからです。 かつてお釈迦様も生老病死に悩まれていたと知りました。 その悩みから抜け出せる知恵が、仏教にあるのではないかと思ったのです。 仏教では死についてどのように考えていますか? お坊様は死を恐れていますか? その理由は何ですか? またお坊様は当然ながら仏の世界を信じていると思いますが、信じるに至った根拠や理由はありますか? 尚、両親も私も健康状態に問題はなく、死が差し迫った状態ではありません。(人生、何が起こるかわかりませんが) それでも両親との別れはいずれやって来ます。 私は自分がただの物体になるのも恐ろしいですが、両親が物体になるのはもっと恐ろしいのです。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

2025年7月5日4時18分

荒唐無稽であることが望ましい話です。 標題の日時で検査すると、様々なところから滅びの予言がされていることがわかります。東日本大震災の三倍の規模の津波だとか核ミサイルだとかフィリピン沖だとか隕石だとか。事実無根と軽く扱うには根拠が重なりすぎていてどうしても軽視できません。そして私は「問題が起こる=解決できずに全てが崩落する」と強く感じているので、きっともう一年近くの命なのだなと感じています。 私はただ、痛みや苦しみから逃れられない物質世界で生きていたくないだけなのです。死ぬことよりも、死んだ向こう側で過酷な世界に生まれるのが恐ろしくて恐ろしくて仕方ありません。屠殺される家畜。逃げきれなければ捕食される草食動物。餌に釣られて毒殺される害虫。ああいやだ恐ろしいと思うのはいけないことですか? 生きることは恐ろしい。どう生きても自分より遥かに大きなものによって弄ばれて終わるこの矮小な身体が恐ろしい。脳味噌の誤作動と物質世界に永遠に閉じ込められているのが恐ろしい。そんなことを感じてはいけないのですか?苦しみを受け入れられるようにならなければいけないのですか?安心して生きてはいけないのですか?ガンジス川の濁流に飛び込んで疫病を得なければ救われないのですか?生き物の本来の姿とはどんなものなのですか? この時代のこの場所に生まれただけでものすごく幸運だというのに、その中でさえ上手く生きられなくて苦しんでいる私が、災害や大破局に直面した際に恨みを抱かず運命を粛々と受け入れられる気がしません。「だから生きるのは嫌だったんだ!だからこの世界は嫌なんだ!」と恨み憎しみの塊になったまま死んでしまいそうで、すなわち苦しい来世が確定しています。「今、ここ」に集中しようとしても、破滅のカウントダウンを感じるとそれどころではなくなってしまいます。未来が誰にも見えないのが恐ろしいと傲慢な感情を抱いてしまいます。 私が救いを信じられないのは、今までの人生において大いなるものの救いを感じられなかったからです。破滅の信憑性ばかりが高く、破局、混乱、絶望の未来しか待っていないと漠然と感じています。これらを否定したり適切な距離をとったりするには、あまりにもこの世界の矛盾や欠陥が多すぎます。「今ここ」に生きるよりも、「どうしたら苦しまずに死ねるか」でいっぱいです。 安心して生きることは傲慢ですか?

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

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