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かわいそうと思ってはいけないのか

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有り難し有り難し 19

障がいのある方、被災した方、いじめられたり虐待された子ども、性被害にあった女性、パワハラを受けた男性、重い病気の方、ペットをなくした方、多頭飼育崩壊の犬猫など、私が彼らのことを思う時に、私の心に浮かぶ感情に名前をつけるなら「かわいそう」だと思います。
細かく分類すればそれぞれ少しずつ違うと思いますが、それをうまく表現できないので、総じて「かわいそう」だと思います。
(暴力でしか自己表現できないような人を「かわいそうな人」と思うことがありますが、この「かわいそう」は先の人たちのとは違うという意識はあります)

ですが、当事者の方には「かわいそうと思ってほしくない、そう思うのは見下しているからだ」という意見があります。

傷ついている相手に寄り添いたい、力になりたいという思いは「かわいそう」だからだと思っていたのですが、間違いだったのでしょうか。
私のこの感情は、正すべきなのでしょうか。
それともこの感情には違う名前があるのでしょうか。

「かわいそうというのは差別だ」という意見を見て、そしてその意見が支持を集めていて、自分の中に無意識の差別意識があったこと、かつてそう思い行動したことで相手を傷つけていたかもしれないこと、自分の感情を否定されたことにショックを受けたので、質問させていただきました。

2024年2月9日 4:25

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

思ってはいけないからと思わなくできるものではない

ご相談拝読しました。

まず、可愛そうと思ってはいけないわけではないでしょう。というか「○○と思ってはいけない」という感情はないと思います。感情というのはある種人間における自然現象のようなものだからです。

「○○と思ってはいけない」からそうは思わないなどとコントロールできるものではありません。かわいそうだと思う条件ととのえばそう思いますし、怒りや悲しみや喜びもそうです。そう思うときは自然と思うもの。

問題はその先にあるのでしょう。

浮かんできた感情そのままに行動するかどうか、あるいは、その感情を他者に伝えるかどうか。

そこには段階があるように感じます。確かにあなたの例では可愛そうと思われたくない人もいるでしょう。一方で、可愛そうと感じたから行動したというあなたの行動原理もけして悪いとは思いません。

ただ、それを内に秘めたものとするのか、相手にも伝わるように動くのかとか、そこに今は配慮が求められる時代なのだと思います。

あなたの感情はあなたのもののようでそうでもない。あなたですらコントロールできないものなのですから、あなたに浮かんできた思いを否定する必要はありません。

晴れも雨も風も自然。喜びも悲しみも哀れみも怒りも自然。それを評価するのは人間の都合であり二次的な作業なのだと思います。

2024年2月9日 6:08
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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

お答えありがとうございます。
感情は自由であってよい、大切なのはその後の行動であるという言葉に納得し、心が軽くなりました。
相手がどう思うかに気をつけて、また、相手の言葉をよく聞いて行動するよう努めます。

「希死念慮とのつきあい方どうしたらいい」問答一覧

なぜあんなに自分勝手だったのか

私には信頼できる友達がいて、家族との関係も良好であり、周りの人にとても恵まれていると思います。 私はおしゃべり好きではありますが、自分の意見を曲げずに押し通したり、思いやりのない行動はしないように気をつけてきたつもりでした。 しかし、以前付き合っていた方に対して、私はどうしようもなく自分勝手な言動をしていました。 当時は、相手が自分のことを好きでいてくれることに調子に乗り、自分の感情を優先していたのだと思います。 自分は相手に寄り添おうとしていなかったのに…です。 相手の性格や生活スタイルを考えずに連絡を強要したり、きちんと感謝していなかったり、自分勝手な言動を思い返せばきりがありません。 価値観の違いですれ違ったというより、私の身勝手で上から目線な言動に相手が耐えられなくなったのだと思います。 相手の気持ちや、そのときの状況を考えれば間違っていると誰にでも分かるようなことをしていましたし、相手には嫌な思いをたくさんさせてしまったと思います。 冷静になって振り返ると、自分で自分が信じられないです。 また、不安や寂しさといった感情をコントロールできなかったことも自分自身の弱さであり、そのような芯のない自分が情けないと思っています。 今は反省反省の日々なのですが、誰に対しても謙虚に思いやりをもって生活していれば、自分を変えることはできるでしょうか。 まとまりのない文章で申し訳ありません。 ご回答いただけますと幸いです。

有り難し有り難し 8
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SNSでの誹謗中傷が長い間続いています。

あるSNSで複数人、グループのような形で仲良く交流をしてた人々がいました。(以下、ネッ友たちと記載させて頂きます。) そのネッ友たちとは約4年程交流していたのですが、ある日、ちょっとした事で喧嘩をしてしまい、いわゆる喧嘩別れをしました。 喧嘩の内容は、意識のすれ違いというか、 正直なところ、何故そこまで執着して責められないといけないのだろう…といった内容です。どちらに非があるのか、聞かれれば微妙な内容です。 喧嘩をした後は速攻アカウントを削除しネッ友たちから離れました。 それから2年後のある日、たまたまネッ友たちの内の1人のアカウントを発見してしまい、興味本位で覗いてしまいました。 悲しい事に、まだ私に関する悪口が沢山書かれていました。 過去の私の投稿や発言を転載し、揶揄する内容のものもありました。 会話のやりとりもあったため、察するに仲間内で盛り上がり、当時のメンバー全員で書いているのだと思います。 とても怖く、ショックであったため、もうそのアカウントは見ておりません。 お恥ずかしい話なのですが、当時、そのネッ友たちに自身の本名などの個人情報を伝えてしまったため、いつか個人情報をインターネットにバラまかれたりしないか?と心配で仕方ありません。 住所なども特定されてしまう、または既に特定されているのではないか?と余計な妄想までしてしまい悩んでいます。 自分の失態が招いた出来事であるのは勿論承知なのですが、デジタルタトゥーを残されることが特に心配なのです。 正直なところ、2年も誹謗中傷が続いているものですから、何をされていてもおかしくないと考えております。 現在進行形で悪口が書かれる事と、個人情報がインターネットにバラ撒かれないか、という不安で大変辛いです。 毎日、普通に生活していても、ふとした瞬間に書き込まれた悪口を思い出しては辛い気持ちになり、「今も悪口を言われているのだろう。」といった悪い思考に取り憑かれています。 どうしても病的に思い出してしまいます。 私は一生、この不安や憂鬱な気持ちと付き合っていく他ないのでしょうか。 どうすればSNSでの誹謗中傷を気にせずに居られるでしょうか? 何せ粘着されている期間が期間であるため、精神的に大変参っております。 どうすれば気にならなくなるか、または立ち直り方など、心の持ちようをお教えください。

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鬱になりそう

はじめまして。大学1年生、19歳。 みょんと申します。 私は物心ついた時から希死念慮を抱きながら生きてきました。 母に「私なんて生まれなければよかった。」と、泣き叫んだこともあります。 (その時は幼かったので、母に如何に大切に思っているかを伝えられて落ち着きました。) ここ数年落ち着きを見せていた鬱状態、希死念慮でしたが度重なる多忙、精神不安から再発しています。 ➀サークルの仕事 イベントサークルに所属しておりSNS運営や画像作りを担当しているのですが 大学祭のイベントの投稿2週間分を前例のない状態で作り上げたこと。 ミスコン団体のイベントのポスター、SNS投稿作り、リハーサルを同時並行で行ったこと。 ➁疎外感 サークルや友達と居ても疎外感を感じてしまい、寂しい思いをしていること。 ➂アルバイト アルバイトの仕事で仕事を教えてもらえない、お局様からのいやみなどで電車に乗れなくなり アルバイトに行けなくなって辞めてしまったこと。 バイトを変更して、新しいバイト先になったはいいもののよく体調を崩してしまうこと。 (理解のある職場で体調不良時も優しくしてくださいます) ➃ホームシック 田舎から出てきたホームシックで都会の喧騒に疲れてしまい、家に篭りきりな事。 同棲している彼氏にこのままでは壊れる、と言われてしまいました。 私もそう思います。 どうしたら心が保てるでしょうか。 来年度からはサークルが自分たちの代になること、 現状5人程度で運営するミスコン団体の幹部になりタスクが増えること、 彼とうまくいかなくなってしまったら など、不安要素が沢山で毎日苦しい、頭が痛い、希死念慮で溢れる日々です。 どうしたら前向きに過ごせるでしょうか。 長文失礼いたしました。

有り難し有り難し 1
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希死観念が消えない

希死観念が消えずに困っています。 受験期に鬱になって以降自分のこれからの未来に、過去の選択に自信が持てず、いつも死ぬ事ばかり考えてしまいます。というより、死ぬメリットのほうが大きいように感じてしまいます。 だって自分が死んでしまった方が面倒くさいことや自分のコンプレックス、世界の悲惨さから目がそらせる事ができるでしょう。家族の死や友人の死だって見ることも。 自分は自分の容姿も磨かないくせに妬んでばかり。自分の努力不足を家族や周りの環境のせいにして、被害者づら。lgbtqに理解があると謳いながら、自分は心の奥底で嫌っているから自分が当事者であると言えずに取り繕って、自分に嘘をつき、周りにばれないように生きている。 こんな矛盾したゴミのように甘えた自分に嫌気がさして、死にたくなるのです。 過去に戻りたい。もっと真面目に努力すれば良かった。 ただただ何かに打ち込み、輝いていたあの頃に戻りたいです。 とにかく今の自分が嫌いです。もっともっと何かに熱中して、命を使い切るかのように生きていきたいのです。 しかし、それと同時に死んでしまいたいという思いが頭いっぱいに広がってしまい、情熱が消え失せてしまうのです。 自分の中にあるモヤモヤを書き殴っただけなので、意味不明な文章になってしまいまい申し訳ありません。しかし、自分のなかの願いはただ一つ。希死念慮を消してほしいのです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ