死に目に会うのが怖い
遠方の家族が危篤状態です。会いにいった方がいいのかもしれませんが、死が目前の人と会うのが怖く、また帰省して沈んでいる他の家族と過ごすのも辛いと思ってしまいます。
自分の心を守るためには遠くから安らかに過ごせることを祈っていた方がいいと思います。こんなことを考える自分が最低だと思いながら、かなり気持ちが滅入っています。どうしたらいいのかわかりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あなたの気持ちに合わせて、その方と大切にお過ごしくたさいね。
懸命に最後を生きぬこうとなさっているのですね。今この瞬間をと思うと、祈る気持ちと死の恐怖も感じますね。
その時どんな感情を生むのかは、その場に立たないと、感じ得ないことかもしれませんが、その方を想うからこそ、会えないとも思うのですよね。
最低ではないですよ。死に直面することなんて経験もないし、どう接したら、どう受け止めたらと、迷いや不安が起きるのは自然な戸惑いですもの。
私は、臨終の場に何度も出会ってきましたが、その姿、その声、その温もりを、忘れることはありません。辛いし悲しいし苦しいけれど、共に過ごした時間は尊いものを残していく。感情も変化していきながら、今も私の中で思い出となって生きてくださっているようにも思えます。その人との特別なものです。
どんな形でも、間違いはありません。ただ、後悔だけはしないように。あなたの気持ちに合わせて、その方と大切にお過ごしくたさいね。離れて想うことも、あっていいのです。
生まれた者はかならず死ぬ、私も
と認めていつも心に覚悟しながら生きると、逆にポジティブに生きられるよ、と、仏教では言います。最近では西洋哲学でも言うようですね。
その覚悟ができるまでは、死に目に会うのはつらいと思います。逃げているのも、そのつらい気持ちも、当の死にゆくご家族にも、分かると思います。
最低限、皆様に分かってほしいことがあります。死んで終わりではないということです。仏教の人々の中にさえ、死んだら終わり、消えるだけと思っている人もいますが、消えられるのは悟った人だけです。悟っていない我々は、死ぬときにもあれがしたかったもっと生きたかったなどと煩悩がいっぱいで死にますので、消えられません。何かにすぐに生まれ変わります。心がネガティブなら程度に応じて餓鬼、畜生、地獄に、心がポジティブなら程度に応じて人間や天人に。
死ぬときに、「死にたくない」などとネガティブな感情ではなく「『この』人生はここで終わり。次は何かな?」と、明るく覚悟を持つ必要があります。
体の痛みや苦しみは仕方ありませんが、新たな旅立ちの準備をする感じで本人は死を待ち、周りは応援するとよいと思います。これまでの善業を思い出してもらうために、感謝を伝えながら。
質問者からのお礼
お葬式でしっかりお別れをしてきました。経験したことのない家族の死でしたが、お言葉をいただき心を落ち着けることができました。