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お父さんにあいたい

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有り難し有り難し 6

質問です。もし私が死んだら亡くなった父やペットや従兄弟に会えるのでしょうか?これは私が自殺したいとかいなくなりたいとかそんな質問ではありません。ただまたもう一度会いたくて。来世とかどこかとかそんなまだるっこしいことではなく私の人生が終わった時に会いたい。どんなに父さんが好きだったか父さんがいなくなっていかに私の人生が大変だったか、その反面すごく楽しくて色んな人に会えたよ。私は幸せ者だったってそんな話がしたい。ペットにも君たちが死んでしまって悲しくて仕方なかったけど楽しい思い出や君らの可愛い姿を思い出してどれだけ私が癒されたか、ずっと会いたかったって。もちろん交通事故で亡くなった従兄弟にもずっと会いたかったって伝えたい。人の繋がりって現世だけで終わりじゃないですよね?また父さんたちに会えますよね?

2024年3月1日 18:54

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

必ず会えます

拝読させて頂きました。
あなたがお亡くなりになられたお父様や従兄弟さんやご縁ある方々やペットの子達に会いたいと心から願っていることを読ませて頂きました。詳細なあなたのことはわからないですが、あなたのその思いを心から受け止めさせて頂きます。
あなたが先にいかれた方々にお会いなさってあなたの思いを沢山お伝えなさりたいことを伺いました。
いつの日かあなたが与えられたその命を全うなさる時には必ず仏様や神様があなたを導いて下さり、お父様や従兄弟さんやペットのその子達がご先祖様を連れてあなたを温かくお迎えなさって下さいます。そして再会を心から喜び合い分かち合うことでしょう。仏様や神様の前で一切の迷いも苦しみからも救われて何の憂いもなく清らかに円満にご成仏なさっていくことです。
どうか安心なさって下さい。そしてこれからもお父様や従兄弟さんやその子達が心安らかにとお祈りなさって下さい、あなたのその思いをありのまま心から手を合わせてお伝えなさって下さいね。必ずお父様も従兄弟さんもその子達もあなたの思いを全て受けとめて下さいます、あなたに寄り添って下さいます。

あなたがこれからもお父様や従兄弟さんやその子達とのご縁を大切になされ、毎日を心から健やかに潤いに満ちて生き抜いていかれます様に、そして天寿全うなさる時に必ず仏様や神様に導かれ、お父様や従兄弟さんやその子達に優しく迎えられます様に心から仏様や神様やお父様や従兄弟さんやその子達にお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ

2024年3月2日 14:37
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

死んだら無になることへの恐怖

もう何十回、何百回と回答されているテーマだと思いますが、相談させてください。 ここ数ヶ月の間、死が怖いという気持ちが離れず、夜も眠れないくらいです。 私は恐れているのは、死んだら無になる可能性です。 私は科学を信じている(盲信していると言ってもいいです)ので、人間とはただの物体で、感情も脳の反応だと思っています。 だから人は死んだらただの物体になると考えていて、それがたまらなく恐ろしいのです。 私は両親と暮らしていて、日々の生活に幸せを感じています。 しかし死んだら無になるとしたら、この幸せはどうなってしまうのですか? 両親が亡くなり、私も死んでしまったら、全てなかったことになってしまうのでしょうか? いずれ死んで全てを感知できなくなるのなら、この日々も無駄ということになってしまいます。 「一度きりの人生なら楽しめばいい」と思われるかもしれませんが、死んでしまえば「楽しかったな」とすら思えないのです。 それはいっそ生まれてこなかったとしても、結局は同じということになってしまうのはではないでしょうか? 全てに虚無感を感じてしまって、幸せを感じることすら怖くなっている状態です。 しかも死への恐怖は杞憂ではなく、絶対に避けられないという事実があります。 全ての先人が経験していることですが、どうやってこの恐怖と向き合ったのかがわかりません。 科学を信じている私が、今回ここに相談したのは、宗教的なものを信じたい気持ちはあるからです。 かつてお釈迦様も生老病死に悩まれていたと知りました。 その悩みから抜け出せる知恵が、仏教にあるのではないかと思ったのです。 仏教では死についてどのように考えていますか? お坊様は死を恐れていますか? その理由は何ですか? またお坊様は当然ながら仏の世界を信じていると思いますが、信じるに至った根拠や理由はありますか? 尚、両親も私も健康状態に問題はなく、死が差し迫った状態ではありません。(人生、何が起こるかわかりませんが) それでも両親との別れはいずれやって来ます。 私は自分がただの物体になるのも恐ろしいですが、両親が物体になるのはもっと恐ろしいのです。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

2025年7月5日4時18分

荒唐無稽であることが望ましい話です。 標題の日時で検査すると、様々なところから滅びの予言がされていることがわかります。東日本大震災の三倍の規模の津波だとか核ミサイルだとかフィリピン沖だとか隕石だとか。事実無根と軽く扱うには根拠が重なりすぎていてどうしても軽視できません。そして私は「問題が起こる=解決できずに全てが崩落する」と強く感じているので、きっともう一年近くの命なのだなと感じています。 私はただ、痛みや苦しみから逃れられない物質世界で生きていたくないだけなのです。死ぬことよりも、死んだ向こう側で過酷な世界に生まれるのが恐ろしくて恐ろしくて仕方ありません。屠殺される家畜。逃げきれなければ捕食される草食動物。餌に釣られて毒殺される害虫。ああいやだ恐ろしいと思うのはいけないことですか? 生きることは恐ろしい。どう生きても自分より遥かに大きなものによって弄ばれて終わるこの矮小な身体が恐ろしい。脳味噌の誤作動と物質世界に永遠に閉じ込められているのが恐ろしい。そんなことを感じてはいけないのですか?苦しみを受け入れられるようにならなければいけないのですか?安心して生きてはいけないのですか?ガンジス川の濁流に飛び込んで疫病を得なければ救われないのですか?生き物の本来の姿とはどんなものなのですか? この時代のこの場所に生まれただけでものすごく幸運だというのに、その中でさえ上手く生きられなくて苦しんでいる私が、災害や大破局に直面した際に恨みを抱かず運命を粛々と受け入れられる気がしません。「だから生きるのは嫌だったんだ!だからこの世界は嫌なんだ!」と恨み憎しみの塊になったまま死んでしまいそうで、すなわち苦しい来世が確定しています。「今、ここ」に集中しようとしても、破滅のカウントダウンを感じるとそれどころではなくなってしまいます。未来が誰にも見えないのが恐ろしいと傲慢な感情を抱いてしまいます。 私が救いを信じられないのは、今までの人生において大いなるものの救いを感じられなかったからです。破滅の信憑性ばかりが高く、破局、混乱、絶望の未来しか待っていないと漠然と感じています。これらを否定したり適切な距離をとったりするには、あまりにもこの世界の矛盾や欠陥が多すぎます。「今ここ」に生きるよりも、「どうしたら苦しまずに死ねるか」でいっぱいです。 安心して生きることは傲慢ですか?

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

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