生家がなくなる
お忙しいところ恐れ入ります。
生家がなくなる寂しさについて、乗り越え方や考え方のヒントを頂戴したくご相談させてください。
この度両親が定年退職し、まったく縁のない地方に移住することになりました。
新居も購入済みで、本人たちは第二の人生ということでワクワクしているようです。
当然ながら実家はそのうち売りに出され、私には帰る実家や地元に帰る意味がなくなってしまいます。
地元が大好きで心の拠り所としていた私にとって、生家がなくなることは思っていた以上に辛く、なんだか宙ぶらりんになるような心地で辛いです。
(今は結婚して居場所もあり幸せではありますが、自分のルーツが無くなる感覚がとてつもなく寂しいです)
親本人たちが幸せなことが一番ではありますが、毒親で振り回されていたこともあり、「また振り回されるのか…」と思ってしまう面もあります。
いずれ年老いて親は先立ち、みんな遅かれ早かれ実家はなくなるものだと思いますが、まだアラサーです。
周りは慣れ親しんだ実家に帰って安心することができるのに、私はできない。
帰る場所が物理的に消える。
大事な柱を一本失ったようで、どうにも寂しく、内心受け入れられません。
実家や地元に対する執着だと思いますが、仏教ではどのように考えて気持ちを手放すのでしょうか。
ヒントをいただけますと幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
これからもずっと大切になさって下さい
拝読させて頂きました。
あなたはご両親様の意向でご実家が売られてしまい無くなってしまうことにとてもさみしさを覚えておられるのですね。詳細なあなたやご家族の皆さんの状況はわからないですが。あなたがそう思ってしまうお気持ちわかる様に感じます。
あなたがおっしゃる通り確かに生まれ育ってきた家が無くなってしまうのはとってもさみしいですし、悲しいことですよね。あなたがそう思ってしまうのも当然なことと思います。
私の生まれ育った家はだいぶ前に壊されてしまい今はある会社の倉庫が建てられております。外壁だけはかすかに当時の痕跡を残しておりますが、外から見るだけです。
そこで自分が生まれ育ったことは覚えています。私の記憶の中にしっかりと残っていますし、かつてそこで育ててもらいました祖父母のことを思い返しますし、いつも祖父母が私のことをあたたかく見守っていてくれていると思います。
世の中のうつりの中では様々なものごとも常に移り変わっていくものです。ですけれどあなたのその記憶や様々なつながりは決して消えて無くなってしまうことはありません。
あなたがこれからもずっとあなたの大切なことをしっかりと記憶に留めて大切になさっていかれ、毎日を心から豊かに皆さんと幸せに生き抜いていかれます様に切にお祈りさせて頂きます。至心合掌
質問者からのお礼
Kousyo様
ご回答いただきありがとうございます。
世の中は移り変わるもの。メッセージをいただきハッとしました。
その中でも気持ちや記憶はずっと変わらずにいられるのだから、手放すのではなく大切に持ち続けます。
気付きをくださったこと感謝いたします。