助けてください
昔から気付いてはいたのですが、人間とは本質的に他人に対して無関心な生き物だ、と特に最近思います。
SNS等のサイトを利用する人々を見ても、至極当然のことですが、誰もが自分のことを大切にしています。
たとえば誰かがTwitterで「頭が痛い」と呟いたとして、それを心配する人は幾人か現れますが、その気遣いの言葉は果たして本心でしょうか。どこか他人事のように感じているように思えてなりません。いえ、実際そうだと思います。だってその痛みというのは、体験した本人にしかわかり得ません。
震災で初めて地元の人々が協力し合うのも、同じ痛みを共有し得る唯一の機会であったからだと思います。
そんな一大事にでしか発揮されない自分事が切ない。
皆例外なく自分のことが一番大切です。
それを悪いこととは思いませんが、そんな自分1位の世の中であるが故に、些細な他人から向けられる怒りでさえも形容し難いのですが、辛く感じます。
「今、この人は冷静な分析もないまま自己中心的な怒りを他人である私にぶつけている」、「今、理不尽に怒る相手を腹立たしく思わない私は、〝この相手に怒ることで私の労力を使うのはもったいない〟という利己的な意見で物事を収めようとしている」
そんな相手や自己への嫌悪でいつもいっぱいです。
誰しも長所はあるのに、人が他人の悪口を自分勝手に言うのも理解できません。
それを繰り返してゆくと、何もかもが無意味に思えます。
時々、町を歩く人は感情というプログラムが施された無機質なマネキンのように、家はドールハウスのように、車はミニカーのように見えます。
他人に怒りを覚えることも、他人を気使うことも、他人に相談することも、色んなことが無意味に思えます。最終的に〝他人事〟だから。
今現在相談をしようとしている私でさえ、よく分からないと自分自身で思います。
きっと一般的に見れば幸せな私は、この状況から脱したいという贅沢を主張したいのだと思います。ここで自分事を願いたいだけなのだと思います。
こんな私はどうやって人生と私自身に価値を見出すべきでしょうか。
思春期だからだねーwだとか、根拠の無いアドバイスはもう沢山なのです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
曼荼羅なあなたへ
あなたは本質を求めるタイプの人ですね。
私の信仰する密教では「曼荼羅(マンダラ)」という図会があります。それは、仏様の世界、この世の中、宇宙を表したものと言われます。
曼荼羅はサンスクリットで、日本語に直訳すると、本質を有するものという意味になるそうです。この世の中は、曼荼羅です。色々な人々がいます。それがお互い見えないのですが何かで繋がり支え合っています。
あなたは人の無関心、偽善にうんざりしているようです。またネットの世界の誹謗中傷だらけの自分勝手な汚らしい自己表現にもうんざりしているようです。それは、あなただけでなく、けっこう多くの人も思っていることでしょう。
あなたは、volunerble(繊細)な心の持ち主なんですね。本質を見抜くには大事なことですよ。あなたの心にある曼荼羅は、世の中の曼荼羅を捉えるのに拒絶反応をしているのかもしれません。そのチャンネルが結ばれれば、苦しさも和らぐことと思います。
先ずは受け入れてみて、自分自身で解釈し、整理してください。曼荼羅の教理はこの存在世界の全てであり、自分自身もその中にあり、且つ、自分自身も曼荼羅なのです。
この世の中にあるものは無意味どころか、それぞれが意味をもち、役割をもっています。そして、それぞれが支えあって成り立つように出来てあるのです。先ずは、あなた自身に価値があることを自覚し、ご自分が何を出来るか、どういう役割を持てるか、その為にどうすればいいかを考えてみてください。そうすれば、人の見方も変わってくると思います。人の発言をそのまま捉えないようにしてください。意味のない発言というのはたくさんあります。特にSNSやネットの世界は世界に公表される落書き版のようなものです。そこは、汚いことがたくさん書いてあります。本音がたくさん書いてあります。それはそれで、理解して判断材料にすればいいと思います。
あなたの働きをご期待申し上げます。
質問者からのお礼
おそらく、微妙なニュアンスの違いでは伝わりにくいこともあるのだと思いますが、私にとってそこが他人からあまり理解を得られない点なのかもしれません。
世の中は曼荼羅である、それは美しい言葉です。ですが、それを自覚し、自分自身にも何かしらの役割がある、あるいは今持っていると認識した上で私はそれすら無意味に感じています。
自身が曼荼羅であると自覚した上で、無意味に感じています。
ここまで来ると、最早救いはないのかもしれませんが、回答してくださったこと非常に有り難く思います。
ありがとうございました。