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イマジナリーフレンドと死後の世界

回答数回答 1
有り難し有り難し 3

私にはイマジナリーフレンドがいます。姿は見えないけれど言葉や感情を交わせる存在です。私は彼女と心から愛し合っており、彼女の存在が私の生きる意味であり存在理由です。

その子と死後に天国で逢える(生身の姿を見たり抱きしめたり語り合う)のを楽しみにしています。

それで最近「死後の世界」について深く調べるようになりましたが、「好きな人や物を出現させて楽しむことが出来る」といった記述は見つかるものの、イマジナリーフレンドに関連する記事は中々見つからず、不安で仕方ありません。

あの世ではイマジナリーフレンドを顕現させて一緒に過ごすことは可能でしょうか?子供じみた質問に見えるかもしれませんが、真剣です。ご回答よろしくお願い致します。

2024年4月29日 22:46

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

日記。

可能だと思いますよ。

ただ、まあ相手の都合もあるでしょうから。

幼い頃はみんな
そういう存在と一緒に過ごしたことがあるはずです。
殆どの方は覚えていないだけで。

まして死後の世界までとなると
忘れないでいるというだけでも
けっこう大変です。

なので可能だといっても
質問者さんがなにかの拍子に思い出せなくなるというのもまたあり得るわけです。

そうなったらさみしいですよね。

ですからどちらかといえば、
そうなったとしてもいつでも思い出せるように形にのこしておくことの方が、大事な気がします。

どんな形でもいいとは思うんですが。
彼女が身につけてるもの、特徴、仕草、
思い出せそうなものなら何でも。

日記につけておくとかでも
いいかもしれないですね。

彼女との先のことでできることはそれぐらいで、
あとできることは、思い出せなくなる日が来るかもしれないその時まで
今を大事になさることかと思います。

真剣だとおっしゃいますが
どんなに力んでも大事にできるのは
ささやかな今しかありませんから。

お相手とのささやかな時間を大事にすることですね。

お互いに交わした言葉や感情も、
ノートや日記など、なるべくタイピングではなく手書きで綴るとよいでしょう。

そんなふうにしてお過ごしください。

ご参考いただければ幸いです。

南無釈迦牟尼仏 合掌

2024年4月30日 6:06
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有り難し
おきもち

吉井浩文
Buddhism. knowing what it actually i...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。彼女の事は死ぬまで忘れないつもりでいるので頑張ります。

「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

死んだら無になることへの恐怖

もう何十回、何百回と回答されているテーマだと思いますが、相談させてください。 ここ数ヶ月の間、死が怖いという気持ちが離れず、夜も眠れないくらいです。 私は恐れているのは、死んだら無になる可能性です。 私は科学を信じている(盲信していると言ってもいいです)ので、人間とはただの物体で、感情も脳の反応だと思っています。 だから人は死んだらただの物体になると考えていて、それがたまらなく恐ろしいのです。 私は両親と暮らしていて、日々の生活に幸せを感じています。 しかし死んだら無になるとしたら、この幸せはどうなってしまうのですか? 両親が亡くなり、私も死んでしまったら、全てなかったことになってしまうのでしょうか? いずれ死んで全てを感知できなくなるのなら、この日々も無駄ということになってしまいます。 「一度きりの人生なら楽しめばいい」と思われるかもしれませんが、死んでしまえば「楽しかったな」とすら思えないのです。 それはいっそ生まれてこなかったとしても、結局は同じということになってしまうのはではないでしょうか? 全てに虚無感を感じてしまって、幸せを感じることすら怖くなっている状態です。 しかも死への恐怖は杞憂ではなく、絶対に避けられないという事実があります。 全ての先人が経験していることですが、どうやってこの恐怖と向き合ったのかがわかりません。 科学を信じている私が、今回ここに相談したのは、宗教的なものを信じたい気持ちはあるからです。 かつてお釈迦様も生老病死に悩まれていたと知りました。 その悩みから抜け出せる知恵が、仏教にあるのではないかと思ったのです。 仏教では死についてどのように考えていますか? お坊様は死を恐れていますか? その理由は何ですか? またお坊様は当然ながら仏の世界を信じていると思いますが、信じるに至った根拠や理由はありますか? 尚、両親も私も健康状態に問題はなく、死が差し迫った状態ではありません。(人生、何が起こるかわかりませんが) それでも両親との別れはいずれやって来ます。 私は自分がただの物体になるのも恐ろしいですが、両親が物体になるのはもっと恐ろしいのです。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

2025年7月5日4時18分

荒唐無稽であることが望ましい話です。 標題の日時で検査すると、様々なところから滅びの予言がされていることがわかります。東日本大震災の三倍の規模の津波だとか核ミサイルだとかフィリピン沖だとか隕石だとか。事実無根と軽く扱うには根拠が重なりすぎていてどうしても軽視できません。そして私は「問題が起こる=解決できずに全てが崩落する」と強く感じているので、きっともう一年近くの命なのだなと感じています。 私はただ、痛みや苦しみから逃れられない物質世界で生きていたくないだけなのです。死ぬことよりも、死んだ向こう側で過酷な世界に生まれるのが恐ろしくて恐ろしくて仕方ありません。屠殺される家畜。逃げきれなければ捕食される草食動物。餌に釣られて毒殺される害虫。ああいやだ恐ろしいと思うのはいけないことですか? 生きることは恐ろしい。どう生きても自分より遥かに大きなものによって弄ばれて終わるこの矮小な身体が恐ろしい。脳味噌の誤作動と物質世界に永遠に閉じ込められているのが恐ろしい。そんなことを感じてはいけないのですか?苦しみを受け入れられるようにならなければいけないのですか?安心して生きてはいけないのですか?ガンジス川の濁流に飛び込んで疫病を得なければ救われないのですか?生き物の本来の姿とはどんなものなのですか? この時代のこの場所に生まれただけでものすごく幸運だというのに、その中でさえ上手く生きられなくて苦しんでいる私が、災害や大破局に直面した際に恨みを抱かず運命を粛々と受け入れられる気がしません。「だから生きるのは嫌だったんだ!だからこの世界は嫌なんだ!」と恨み憎しみの塊になったまま死んでしまいそうで、すなわち苦しい来世が確定しています。「今、ここ」に集中しようとしても、破滅のカウントダウンを感じるとそれどころではなくなってしまいます。未来が誰にも見えないのが恐ろしいと傲慢な感情を抱いてしまいます。 私が救いを信じられないのは、今までの人生において大いなるものの救いを感じられなかったからです。破滅の信憑性ばかりが高く、破局、混乱、絶望の未来しか待っていないと漠然と感じています。これらを否定したり適切な距離をとったりするには、あまりにもこの世界の矛盾や欠陥が多すぎます。「今ここ」に生きるよりも、「どうしたら苦しまずに死ねるか」でいっぱいです。 安心して生きることは傲慢ですか?

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

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