努力と息抜きについて
いつも皆様のお言葉を胸に生きて生きております。
努力とは何か分からなくなりました、誰だって生きているのでどんな形であれ努力をしていると考えております。
私自身は苦労をすることが好きなのか努力をするのが好きなのか、もっと頑張ろうもっとやろうという意識が強い方です(何かに急かされるように今も何か作らないとと考えてます)
特に創作活動については顕著に表れており、イラストと音楽に私は人生を捧げるつもりです。
楽をしようと思えばいくらでも楽ができる環境にいますが、私は間違っていないという自信が欲しいんだと思います。
でも、私含め人は間違えて正して間違えて正してを繰り返して、正しいと思っていたことが間違いになることもあります。
自分が楽ではなく楽しいからやると頭では分かるのに、もっと肩の力を降ろしたほうが人が寄ってくるのかなとか考えたり、いや私は目標があってやりたいことがあるから、たとえ1人でもやるんだという意識があったりと不安が尽きません。
努力の塩梅ってどうしたらいいのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人は楽しいところに集まってくる。
うすけんさん
お悩み拝見させていただきました。
日々努力をされて頑張っておられるのですね。確かに、誰だって生きているのでどんな形であれ努力をしている、と私も思います。
もちろん努力することは素晴らしいことです。プロのアスリートや、一流の方々をみると、本当に皆さん人生を捧げて、何時間も費やし、努力しているように見えますよね。
ですが、おそらく本人たちは「俺は努力しているんだ!」と思ってしていない気がします。
「やらないと気持ち悪い。」とか「やらないと逆に調子が悪い。」と、歯ブラシをするくらい、日常の日課にされていたりしますもんね。
ただ、その努力が人から評価されるため。だと辛くなってくるでしょうね。
自分のための努力であれば、自分のために続けられるものだと思います。
「たとえ1人でもやるんだ!」という意識は素晴らしいことだと思いますが、これからの時代は沢山の人と交流しながら、人の力を借りて、苦手を補い合うような時代に入ってくると思っています。
ですので、1人でやろうと思わずに、沢山の人と交わりながら、ご自身の技術を深めていくのはいかがでしょうか?
その際に、どういう人に人は集まってくるのでしょう?
努力をしている人?成果を出している人?そう思うからもしれません。
ですが、これからの時代に人が集まって来る人というのは、「楽しんでいる人」のところです。
人は楽しそうなところに集まってきます。
うすけんさんが、無我夢中で楽しんでいると、自然と人は集まってくると思いますよ。
うすけんさんの心が少しでも軽くなり温かい光に包まれるようお祈りしております。
南無阿弥陀仏。合掌。
全てが正しい
ご質問拝見させて頂きました。努力の仕方は人それぞれ。こうだと思ってやり遂げることがやはり重要になると思います。結果的にやり遂げて得られるものがあるのか、ないのかはやってみないと分かりません。
努力自体も同じだと思います。努力したからいい結果とは限りません。もちろんいい結果なら満足ですが、努力というのは自己満足が大きいところです。自分が正しいという一心な思いからでしか動けないものもあるはずです。今のあなたの考え方が正しいと思いますので悩みながらでも1歩1歩前に進んでもらいたいと思います。 合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます