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上手くいかない時の考え方

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有り難し有り難し 22

いつもお世話になっております。ふと、思う事があったのでまた相談させていただきます。自分の中で流れが良くないな、と感じた時どうしたらいいのかという事です。

鉄道従事者なので接客が主要ではありませんが、仕事上でどうしても嫌な旅客に当たる事が多く余りにも酷い場合は頭に血が上る事も少なくありません。

それが所謂縁起の良い日、例えば大安の日だったり吉日というものは数多くありますがそういう日に上記のような事があると余計に嫌な気持ちになります(縁起の良い日は前向きでいたいと思っているので)

そんな日々を過ごしていて思ったのが、ポジティブ思考の人はどんな時でもポジティブでいられるのだろうかという事です。別の例であれば、一流のプロ野球選手でも「練習したくないな」とか「試合に出たくないな」といった気持ちになる事があるのかどうか…という事でしょうか。

お坊さんであれば、日々の修行であったりとかお経を読んだりとか…なさってる事は沢山あると思います。そういったことを「もう続けたくないな」とか「悟りなんて開けないのでは」といった気持ちの時どうするのだろうと思いました。

ポジティブ思考の人には良い事がやってくると言いますし、お金持ちの人は自分は運が良いと思っている人が多いと聞きます。そういう方々は、どんなに辛い目にあっても前向きでい続けられるのか、運が良いと思い続けられるのか自分には想像がつきません。

戦争が現実として存在するからこそ、平和という概念を理解出来る(喜怒哀楽も同じ?)と言う人もいますし、100%のポジティブ思考は存在するのだろうかと疑問に思っています。もし存在しないなら、自分は運が良いと思う人にも運が悪いと思う瞬間もあるのではと考えています。

そうだとしたら、その時に何かしらの考え方としての対処法があるのではと思いました。ポジティブな人、運が良いと言える人に悪い事が起きないとは言い切れないはずなので…

100%のポジティブ思考、悪い事なんか寄せ付けない強運体質になれるに越した事はないと思う一方で本当はそんなものがあるのかと疑問に思っています。回答お待ちしてます。長文でわかりかくてすみません。

2024年5月15日 7:08

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分を落とすような事はせず、自分が誰より味方に、自分を大切に

100%の人はいないだろうと思いますが、自分はそうだと思い込んでいる人はいるでしょうね。周りから見てどうかというよりも、自分が見てそう思うんだと思えば、それが正解なのですからね。
ポジティブ傾向、ネガティブ傾向、だろうと思います。

私もポジティブ傾向ですが、もちろん傷ついて悔しかったり悲しかったり、塞ぎ込んで反省したり、自信を失くす時もいっぱいあります。
良いことも悪いことも起きているのだと思いますが、ただ どうせ私なんてと自分を落とすような事はせず、「私だから大丈夫」「私なら上がっていける」と自分をより大切にします。
楽観的と言うよりも、自分に自信を与える言葉をかけて、自分にとって自分が誰より味方でいることを大事にします。そうすると、周りの影響をあまり受けなくなり、気がついたら顔上げているというような状態でしょうか。それが早い(気持ちの切り替えが早い)のだと思います。

仕事とはいえ、理不尽なことが起きると悔しくてたまりませんよね。感情的になりますけれど、それでも私個人の攻撃というより、相手にとって不都合があったのだろうと、その気持ちをぶつけられているのだろうと理解しながらも、黙って聞き流すのが賢明かもしれませんね。

私の怒りの収め方は、紙に書いてぐしゃぐしゃにして、シュレッダーにかけたり、ちぎって破いたり、燃やします。最後は消してしまうのですから、それだけでスッキリしますよ。ポジティブな人は、気持ちだけでコントロールできているわけではなく、行動を伴ってスッキリさせる方法をいくつか持っていると思うのです。

あなたもそういったストレス発散方法をたくさん見つけていかれるのがいいんじゃないかしら。

2024年5月15日 11:26
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有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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ご質問拝見させて頂きました。私なりの回答になりますが、やはりご縁ではないか、という発想が私の基本になります。どういうことかと言いますと、悪縁、良縁とあえて分類するなら、普通の人は悪縁を嫌うと思うのですが、私は悪縁が好きです。悪縁は私の中では、悪縁こそが自分を成長させる、と信じているからです。もちろん良縁は同様でしょう。悪縁って嫌われがちですよね。艱難辛苦(かんなんしんく)を与えてくれる縁もありますが、結果的に悩み、考える機会を与えてもらったと思えばそれを乗り越えた時は成長しかないはずです。私はそう考えています。物は考えよう、という言葉と同じです。受け取り方次第ということですね。参考になれば幸いです。  合掌

2024年5月15日 14:19
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有り難し
おきもち

真宗大谷派の僧侶です。2024年4月25日にこちらに登録させて頂きました。...
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質問者からのお礼

中田 三恵様

ありがとうございます、一日を通してという場合でもずっとポジティブというよりも嫌な事があっても切り替えるのが早い人がそういう傾向なんだと考えられるようですね。その場で頭に血が上って仮に物にあたってしまったりしても、後々の事を考えると決していい方向にはいきませんよね(それでも止められない事が多々

私はどういう背景が相手にあってもそれが自分以外の他人に対して失礼な態度をとったりしていい理由にはならないと考えているので私個人への攻撃とわかっていても抑えられない事も多いです。割り切るしかない部分もあるのは理解していますが、そればかりが続くと心がどんどん拗けていく感じがします。

気持ちだけでのコントロールではなく行動を伴ってストレスを解消する方法があるのではとの部分でその通りなのかも、と思いました。知っている方法に怒りを感じたら6秒ほど待ってみる、というのがあるんですが中々上手くいかないので方法を色々探してみようと思います。ありがとうございました!

些細様
ありがとうございます、私は現実としては悪縁は避けたい側の人間なので中々どうして難しいところもありますね…もちろんずっと続いていくとも限らないので、程ほどのところで手放して良縁を入れられれば理想だと思いますが。
避けられない悪縁は勉強として受け入れつつ…と出来ればいいのですが、私は未熟なのかなと考えてしまいます。ありがとうございました!

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