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なぜ人はゴキブリをこんなに嫌うのですか?回答受付中

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ゴキブリを見つけると、私はつい「うわっ!」と叫び、急いで殺虫剤を手に取ってしまいます。おそらく、多くの人が同じような反応をするでしょう。

でも、ふと考えてみると、ゴキブリを見て気持ち悪い!と思うのは人間だけではないかと気づきました。

例えば、キリンや犬やハトがゴキブリを見て、「ギャー!ゴキブリ!無理無理無理!」と大騒ぎすることはありませんよね。

そもそも、なぜ私たちはゴキブリを嫌だと感じるのでしょうか?
生理的な反応なのか、文化的な刷り込みなのでしょうか?

キリンや犬も天敵に出会えば騒ぐことを考えると、もしかしてゴキブリは人間にとっての「天敵」なのでしょうか?

ゴキブリに感じる嫌悪感の正体を教えてください。

2025年3月8日 15:46

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

固定概念であるかも

ご質問ありがとうございます。
ゴキブリに関しては、科学的な研究がされているのでその回答はググっていただけたら良いと思います。今回は頑張って仏教の観点からお答えしてみますね。

1. 縁起(えんぎ)
仏教では、すべての現象は相互に縁によって生じると説きます。つまり、物事は単独で存在するのではなく、様々な条件や関係性によって成り立っているということです。つまりゴキブリに対する嫌悪感も、この縁起の法則に従って形成されます。親や周囲の大人たちがゴキブリを嫌悪する姿を見たり、ゴキブリが不衛生であるという情報を聞いたりすることで、私たちはゴキブリに対する否定的なイメージを形成します。
分かりやすく極論で申しますと、もしゴキブリが美味しい食べ物として扱われる文化の中で育ったならば、ゴキブリに対する認識は全く異なるものになっていたかもしれません。

2. 分別(ふんべつ)
仏教では、私たちが物事を認識する際に、無意識のうちに「良い」「悪い」「好き」「嫌い」といった分別を行っていると説きます。
この分別は、過去の経験や学習、文化的な背景などによって形成されるものであり、絶対的なものではありません。
ゴキブリに対する嫌悪感も、この分別によって生じるものです。私たちは、ゴキブリを「不快なもの」「危険なもの」と分別することで、嫌悪感を抱くようになるのです。分別は、あくまでも心の働きによって生み出されたものであり、実体のないものであるということを理解することが大切です。

つまり、ゴキブリに対する嫌悪感が、個人的な経験や社会的な影響によって形成されるという点で、仏教の縁起と分別の教えと一致していませんか?
ゴキブリそのものが絶対的に嫌われるべき存在なのではなく、私たちの心が作り出したイメージによって、嫌悪感が生まれているということです。
このことを理解することで、私たちは固定観念にとらわれず、物事を多角的に見ることが大切なのではないでしょうか?
仏教では、執着や偏見を捨てることで、心の平安を得られると説きます。
ゴキブリに対する嫌悪感も、一つの執着や偏見であると捉えることができませんか?
もし、ゴキブリに対する嫌悪感を克服したいと思うならば、ゴキブリに対する固定観念を捨て、客観的に観察することが大切なのかもしれませんが…

わたしも、ゴキブリは苦手です…

2025年3月8日 18:46
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有り難し
おきもち

慈悲を意識すれば

たしかにゴキブリやネズミへの嫌悪は私たちに刷り込まれていますね。
ただ、私はゴキブリやクモ等の虫を家の中でみつけたら、ホウキとチリトリで捕まえて屋外に逃がすようにしています。
実はこれ、オ○ム真理教の出家信者の生活を取材したドキュメンタリービデオの中で彼らも行っていたんです。
テロ行為(殺人)を行った教団の信者が、ゴキブリには優しいなんて笑うかもしれませんが、私達は自分の都合や好き嫌いで生き物を殺したり可愛がったりしています。
ネズミは駆除して良いがゴミを荒らす野良猫を殺すのは違法だったりします。
見た目の可愛さは(人間の顔に近い等)重要な判断材料かもしれませんね。

2025年3月8日 19:25
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

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