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人間関係は思い込み、幻想?

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いつもありがとうございます。最近思うのですが、お釈迦様は物事は絶えず変化していると説いたと思いますが、一番変化が激しいのは人の心のような気がします。あんなに仲良くても最後にはケンカ別れになったのが1年間に2回あったからです。若い頃は友人関係、人間関係は信頼と敬意で成り立っていると考えていたのですが、こういう事があると人間関係や友人関係は幻想、思い込み、偏見で成り立っているのではないかと思うのです。人間関係、友人関係とはなんなんでしょうか?お答えお願いいたします。かなり悩んでいます。

2024年5月21日 10:39

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

波の如く。

『人間関係は信頼と敬意で成り立っていると考えていたのですが、こういう事があると人間関係や友人関係は幻想、思い込み、偏見で成り立っているのではないかと思うのです。』

逆ではないでしょうか。
人間関係が信頼と敬意で成り立つのではなく
信頼と敬意が人間関係で成り立っている。

同様に
人間関係が幻想、思い込み、偏見で成り立つのではなく、
幻想、思い込み、偏見が人間関係によって成り立っている。

あくまで人間関係の方が実際の関わり方としてリアルに目の前に展開されていて
目まぐるしく変化するんだけれども
一定のやり方、様式でその人同士の関係の取り方が安定すると
それを”信頼”と読んだり”敬意”と呼んだりするのではないか。
それ自体は幻想であっても構わないわけでしょう。
当人たちからすればその幻想のおかげで関係が安定するわけですから。

問題はその関係の取り方が不安定で、何かのきっかけで破れたりすると
「あれは幻想だった。思い込みだった。」と感じることではないでしょうか。

感じ方によってコロコロ変わるんだと思うんですね。
『一番変化が激しいのは人の心のような気がします。』
ずばりお釈迦さまはそれをおっしゃっていたのだと思います。

外の世界ではなくほかならぬ
自分の心の変化の目まぐるしさ、それらはおおよそ人間関係で成り立っているものであり、移ろいゆくものであると。
移ろいゆくもの、変化するものだからこそ逆に成り立つともいえますね。
水面の変化がないと波が成り立たないように。

次の瞬間には新たな人間関係を作らないといけないわけです。
それで人の心はどうにか保っていける。

その途方もない苦労を「無常」と呼び「苦」と呼んだのは
ほかならぬお釈迦さまです。悩ましかったでしょうね。

その悩みを解決して
お釈迦さまは求道の旅に出た。
”新たな、人との関わり方を見つけに行った”。
のではないでしょうか。

日々、あらたな関係の取り方を
他人との間から見つけ出す。
このやりとりもまた安定したプラットフォームのおかげで
関係の取り方として私とチャトラさんのあいだに成り立つわけですよね。
これは”信頼”と”敬意”であろうかと思われます。

物事の根本はこういうテーマから出発しないといけないのではないかなと
考えさせられました。

ご参考いただければ幸いです。

南無釈迦牟尼仏 合掌

2024年5月21日 11:33
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吉井浩文
Buddhism. knowing what it actually i...
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まさに諸行無常

ご質問拝見させて頂きました。物事に限らず生き物も常でない、変化し続けていることを諸行無常と言います。字の通り、常ではないとあります。それは感情、状況、環境、全てです。これが娑婆の当たり前とご解釈ください。さて、チャトラさんとおっしゃる件ですが、基本的には世のつながりはご縁です。ご縁があれば関係を持たれたり、ご縁が離れれば関係が消えたりするものです。そこには表面的な関係性ではなくご指摘の内面的なつながりもご縁だといえるでしょう。ですから友人との関係性もご縁があるから関係していると解釈することが出来るかと思います。もちろんご縁がいつまで続くという保証は一切ありません。それがご縁の特徴でもあります。この世を浮世と表現することもあるわけですから、つらい世の中、無常の世の中、はかない世の中、どれも該当すると思います。そんな浮世でご縁がある人だからこその信頼や敬意ではないかな、とも思いました。参考になれば幸いです。 合掌

2024年5月21日 12:44
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おきもち

真宗大谷派の僧侶です。2024年4月25日にこちらに登録させて頂きました。...
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質問者からのお礼

吉井浩文さま、回答ありがとうございます。文章読ませていただきました。ですが申し訳ありませんがやはりモヤモヤは消えません。人間関係は永遠のテーマで国同士、民族同士争ってあるのも人間関係のこじれた延長線上の気がします。信頼と敬意も、実は自分の願望にもとずく幻想、思い込みのような気がするのです。実は若い頃にも人に裏切られたりしたので私の疑念は根深いものになっています。すみませんです。

些細さま、回答ありがとうございます。私も私の親も人の縁が薄いようで裏切られたり利用されたり冷たくされたりでした。やはりお釈迦様は人の心も不変ではないと言っているのですね。人の心がこのように変わりやすいのであれば、人間関係など無意味な気がするのであります。1年間に2回ケンカ別れ?になり精神的ダメージがあるのであれば最初から付き合わなかければ良かったと思う心境であります。こんな返事で申し訳ありません。

「仏教における縁起」問答一覧

上手くいかない時の考え方

いつもお世話になっております。ふと、思う事があったのでまた相談させていただきます。自分の中で流れが良くないな、と感じた時どうしたらいいのかという事です。 鉄道従事者なので接客が主要ではありませんが、仕事上でどうしても嫌な旅客に当たる事が多く余りにも酷い場合は頭に血が上る事も少なくありません。 それが所謂縁起の良い日、例えば大安の日だったり吉日というものは数多くありますがそういう日に上記のような事があると余計に嫌な気持ちになります(縁起の良い日は前向きでいたいと思っているので) そんな日々を過ごしていて思ったのが、ポジティブ思考の人はどんな時でもポジティブでいられるのだろうかという事です。別の例であれば、一流のプロ野球選手でも「練習したくないな」とか「試合に出たくないな」といった気持ちになる事があるのかどうか…という事でしょうか。 お坊さんであれば、日々の修行であったりとかお経を読んだりとか…なさってる事は沢山あると思います。そういったことを「もう続けたくないな」とか「悟りなんて開けないのでは」といった気持ちの時どうするのだろうと思いました。 ポジティブ思考の人には良い事がやってくると言いますし、お金持ちの人は自分は運が良いと思っている人が多いと聞きます。そういう方々は、どんなに辛い目にあっても前向きでい続けられるのか、運が良いと思い続けられるのか自分には想像がつきません。 戦争が現実として存在するからこそ、平和という概念を理解出来る(喜怒哀楽も同じ?)と言う人もいますし、100%のポジティブ思考は存在するのだろうかと疑問に思っています。もし存在しないなら、自分は運が良いと思う人にも運が悪いと思う瞬間もあるのではと考えています。 そうだとしたら、その時に何かしらの考え方としての対処法があるのではと思いました。ポジティブな人、運が良いと言える人に悪い事が起きないとは言い切れないはずなので… 100%のポジティブ思考、悪い事なんか寄せ付けない強運体質になれるに越した事はないと思う一方で本当はそんなものがあるのかと疑問に思っています。回答お待ちしてます。長文でわかりかくてすみません。

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