母からの虐待を知り辛い。過去の乗り越え方
(編集部より。規約により投稿の一部を変更しています)
30才男性です。この年になって、母親から1〜3才の頃にムチ打ちをうけていた事を知り、何故か悲しい気持ちになり悩んでいます。
私の母親は、ある宗教を信仰していて、父と兄、自分は信仰をしていませんでした。私が幼少期の頃、ストレス性などでなるような病気で手術をして半年程入院しました。
10代の頃はよく他の家庭と違う事や自分の病気の事なので、我慢する事が多く苦しい事が多かったです。
ここ最近、自分が信仰はしていないのですが、母や自分の病気の影響をうけて抑制的?自己犠牲的な考えで生きていた事で、婚約者を傷つけ後悔する事があり婚約者から愛情を感じないと言われました。
それを言われて本当は何をしたいのか悩む事や、過去を知りたいと思い、母親に、自分にもムチ打ちがあったのか聞いてみた所、事実があった事を知りました。
1〜3才の頃だったのでほとんど記憶にはなく、なんとなくあったかもぐらいの記憶でした。
ただその事実を知ると、ふと悲しくなってしまいます。
愛情なんてえられない。どんだけ努力しても手に入らない。と考えてたり、どうせ自分なんて、と考えたりします。
もちろん母にも事情があり、愛情がなかったわけではありませんし、これから自分の生き方をみつけて前向きに生きればいい。その辛い事を乗り越えた自分を褒めたりと頭では理解できているのですが、
何故かふと悲しくなって涙が出てしまう事があります。
これはそういうものと受け入れるべきなのか、親になんであんな事をしたのとぶつけるべきなのか(悲しませたくないからしたくない。)と考えがぐちゃぐちゃになって、今まで良いと思っていた生き方が、なんでそんな生き方をしてたんだろうと、日々悩んだり悲しくなります。
どう自分の辛い過去を乗り越えたらいいでしょうか。
うまく考えがまとまらずすみませんがよろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたに良き影響与えてくれる人や居場所を、大切にしましょう。
知らなければよかった事実ですよね。愛情がなかったわけではないと思いますが、それでもムチ打ちって…必要だったの?って思いますし、打たれてきた自分を想うと悲しいですよ。
小さい頃とはいえ、1〜3歳頃なんて幼児ですよ。どんな理由があっても、ムチ打ちなんて虐待ですもの。考えただけで涙が出ますよね。手術するほどのストレスを抱えてしまったのも、その環境が大きく影響しているでしょう。
よく耐えてこられましたね。耐えなければならない環境だった…それはとても苦しかったことでしょう。
なぜだったのかを母に問うても、あなたの納得できる返事は返ってこないと思います。理由があったとしても、「あなたが打たれるようなことをしたから」などというものは、理由になりません。どんな理由があろうとも、暴力を行ってはいけないのです。
あなたなら、自己犠牲に陥るでしょう。ですから、母の口から理由を聞くことはやめましょう。
信仰は個人のものですから、お母さんが今も信仰されているなら、あなたにとっては強い影響与えてしまいます。お母さんから距離を取るようにしましょう。
人は、周りの環境や出会う人から影響を受けます。これからは、あなたに良き影響与えてくれる人や居場所を、大切にしましょう。乗り越えなければと強く思うと、またそこに捉われて苦しくなるかもしれません。
あなたが心地良いと思える場所が、あなたの安心できる居場所です。過去ではなく、これからを見ていきましょう。
ハスノハも、あなたが気持ちを下ろせる、あたたかな場所になっていきますように。
何かあれば、いつでもここで話をしましょう。ゆっくりでも、あなたが抱えてるトラウマを溶かしていければいいなと思っています。
過去の自分は他人
細胞は新陳代謝で入れ替わり、心は瞬間瞬間に浮かんで消えています。
幼少期のあなたと現在のあなたは別の物体であり、別人なのです。
ただ、名前(社会におけるアカウント)や記憶データ(昨日までのプレイ履歴)を受け継いでいるだけ。
ゲームに譬えるなら、あなたという同じキャラクターを毎日違うプレイヤーが操作しているようなもの。
幼少期にプレイしていた人物と今日のプレイヤーである「今の私」とは、別人です。
数十年前に他人が操作していたマリオが受けた苦痛を、今日のマリオを操作する別人が気にする必要はないのです。
「自分」という概念は幻です。
憶えてすらいない過去の虐待は、少なくともあなたの責任ではないので、今日のキャラクター、今日のレベル、今日のステージでプレイすれば良いのです。
どうせできることしかできない人生。
今のあなたが今できる範囲のことをすれば、この1秒間の人生は合格人生です。
蓮には撥水昨日があり、葉っぱの上を水がガラス玉のように転がります。
だから蓮の根は泥の中にあっても花や葉は汚れず美しいのです。
過去の泥は気にしないで、ピッカピカの華を咲かせましょう。