神社の御札について
初めて投稿しますので、誤字脱字がありましたらご容赦ください。
この頃気になることがあり質問させていただきました。
神社の御札を仏壇に入れてはいけないとネットで散見されることです。このことに対して正直突っ込みを入れたくなりました。
事の発端はお寺で頂いたお札は神棚や神札の横に置いても構わないという情報をネットで拝見したからです(仏壇に入れることも問題ないとする内容もありました)。
逆に神社側では仏壇に入れることは止めて下さいと強く許否する文面をお見掛けします(神棚を設けるか、目線より高い位置かつ向きも指定していました)。
上記の内容を考えるたびに、
お寺の御札は寛容なのに神社の御札は寛容じゃないのか?
神社の御札を仏壇に入れたとして、神様はお怒りなるのだろうか?
人間側のエゴじゃないんですか?
と思えてなりません。
今までの歴史を鑑みれば神仏習合の考え方もあり(現に神社の中にお寺もあれば仏様も祀られております、またお寺にも神様が祀られています)、神棚にお寺の御札を祀ろうとも、仏壇に神社の御札を祀ろうとも問題ないはずです。
神札を仏壇に入れるのは本当にダメなのでしょうか?
よろしくお願いいたします。
他人の栄光に嫉妬する。他人の行動に怒りを覚える。自分の理想と現実のギャップに悩む。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
手を合わせる方の考え方による
こんにちは。
お寺で頂いたお札は神棚に入れても良いが、神社で頂いたお札は仏壇に入れてはいけないという話を見聞きし、疑問に思ったのですね。
・「お寺のお札」とは、「ご祈祷札」の事だと思います。お寺で家内安全や商売繁盛などのご祈祷などを受けた後に、授与されるお札です。
・「神社のお札」とは、「大麻」(麻薬ではなく、お札をそのように呼ぶ)の事だと思います。神道は専門外ですが、このお札を神棚におまつりし、お札に対しお供え物などをしますので。御分霊のような存在かと想像します。
「お札」とひとことで言っても、神社のものとお寺のものは意味合いが違うと考えられます。
仏壇は、仏様を安置する場所で、買い求めた時には、信仰の対象であるお釈迦様や阿弥陀様がおまつりされています。ここに、神様の御分霊である「大麻」(お札)を入れますと、元々お釈迦様や阿弥陀様のためにしつらえた場所に他の信仰対象である神様を入れることになり、居候のような状態になる、と考えれば、一緒におまつりするべきではない、という考えも出てくると思います。
まあ、お寺でも本堂にご本尊さま以外に他の仏様もおまつりしていますし、神社でも「相殿(あいどの)」と言って、ひとつの祠に2柱以上の神様をおまつりする事もありますし、あなた様のおっしゃる通り、お寺に神様をおまつりしたり、その逆もあったりしますのでね、一緒でも良いという考えもあると思います。
「入れても良い」「入れてはいけない」双方にご自分の信仰や考え方があっての事だと思います。おまつりしている対象に対し、気持ちよく手を合わせることができるのが一番大切なことだと思います。
人間側のこだわり
結局は、人間側のこだわりです。
あなたが神社側のお札や神社のしきたりに対してどれだけリスペクトしてこだわるかによるでしょうね。
神社のお札を欲しいとすら思わない人もいるし、お札をゴミ箱に捨てるのも平気な人はいるでしょう。
神道にはケガレ思想があり、死や血に関連するものを神様から遠ざけたがります。
たとえば生理(出血)のある女性が相撲の土俵に上がれないのもケガレ思想に関係するかもしれません。
もしかしたら、仏壇には骨壺を安置する場合がありますし死を連想させるので、神様のお札を遠ざけたがるのかもしれませんね。
仏教的には儀礼やしきたりへの執着も煩悩(悩み苦しみストレスの原因)の一つに数えます。
あくまで文化的な風習として、ハロウィンや七夕飾りみたいにしきたりを楽しんでやれるなら誰も不幸にはならないと思います。
質問者からのお礼
願誉浄史様
ご回答ありがとうございます。
神道の根底にケガレ思想があったことを失念しておりました。
それに自分がこだわり過ぎており、視野が狭くなっていたのかもしれません(笑)こだわりが物の考えを180度左右することも気づかされました。
大変勉強になりました。ありがとうございます。
光禪様
ご回答ありがとうございます。
おっしゃる通り御祈祷札と大麻では同じ御札でありながらもかなり意味合いが異なりますね。その点を明確にして考えられなかったのは恥ずかしいかぎりです(笑)
確かに自分自身の信仰や考え方、祈り方に焦点をあてれば、どちらが自分にとって適切なのかが見えてくるのかもしれません。
大変勉強になりました。ありがとうございます。