懺悔です。
前回中絶した事について書き込みをし、とてもお優しい言葉を頂きました。
ですが、私の心の弱さから隠していることが多く、そんな中でかけて頂いた言葉に縋る事の申し訳なさや罪悪感に襲われたので今回は正直に書かせて頂こうと思います。
初めは産むつもりでした。相手の結婚の意思に限らず堕ろすという選択肢は私にはなかったのです。
ただ、妊娠を報告した時に初めて相手が既婚者だと知りました。相手の家庭事情を聞き、泣きながら堕ろしてほしいと頼まれました。その際心無い言葉も、正直たくさん言われました。
心無い言葉に傷ついたこと、知らなかったとはいえ産まれてくる子が不倫の子になってしまうこと、私が産むことで相手の家族が壊れてしまうかもしれないことを考え、堕ろすしかない。と諦めてしまいました。
大丈夫じゃないのに、泣いてる相手を励まし、大丈夫なふりをしました。
悪阻が酷くなり、仕事に支障が出てきました。職場に隠せなくなり、困った私は妊娠したけど赤ちゃんは育たなかったと嘘をつきました。まだ胎嚢しか見てなかった私は、それが事実だと思い込むようになりました。
お腹では赤ちゃんが育っていたのに、自分の心を守るために、お別れするその日まで私は嘘をつき続けました。
そして手術前日、初めてお腹の中の命を目の当たりにし、そこから術後までの記憶はほぼありません。我に帰った時にはもうお腹は空っぽでした。
私は、お腹の赤ちゃんの心も傷つけました。あれから毎日涙が止まらず、鬱になり、仕事にも行けなくなりました。
自死する勇気はありませんが、一日でも早く赤ちゃんのところに行きたいです。
でも、たくさん嘘をついて赤ちゃんを傷つけた私に逢いに行く資格があるのかわかりません。
水子供養も終え、今はお地蔵様に会いに行き手を合わせています。たくさん傷つけてごめんなさい。これ以上悲しい思いをしませんように。と祈るばかりです。
私のような酷い人間ですが、これから先どのように供養していけば赤ちゃんの傷が癒せるでしょうか?
月命日には必ずお参りに行けるように、家から1番近いお寺にお願いしました。
たくさんお参りにいく事しか今は思いつきません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
純子 様
前回回答したものです。
よく正直に話してくれましたね。
あなたは優しい人です。
他人にばれないようにしたのも、本当は赤ちゃんの命を少しでも長く守りたかった。
あなたの愛情です。
今、一番近いお寺で毎月供養をされているようですから、赤ちゃんは不幸なことはありません。あなたと短い間でも出会えたことで喜びを感じています。
あなたに感謝すら伝えているでしょう。
自分を責めていると、赤ちゃんが感謝が届かないと不安になります。
赤ちゃんが喜ぶために、今度はあなたが前に向くことを目指していきましょう。
前を向くことが、赤ちゃんのための供養です。
と私は思います。
辛い時・悲しい時、涙を流して構いません。
大きな声で鳴いてもいいですよ。
その涙は、でも赤ちゃんへの愛情のためだと思って、
少し癒えたら、一歩・一歩と進んでいきましょう。
そんな支えになるように、我々相談者がいますので、
その都度その都度の気持ちをお話しください。
供養という慈しみ、優しさを向けることは、あなたとあなたの赤ちゃんを繋いでいく素晴らしい光となって、お互いが幸せになる方向へ導くでしょう。
私はそう思います。
またご相談ください。合掌礼
追伸:お礼メッセージありがとうございました。しっかりとお気持ちに寄り添っていきますので、何度でもお話しください。一人で抱え無必要はないのですから。再礼
追追伸:お気持ちまでいただきありがとうございました。酷暑が続きます、お気をつけてどうぞお体ご自愛ください。また遠慮なくご相談ください。メールでも公式ラインでも対応しますので。再再礼
果てしない輪廻転生の中で
果てしない昔から輪廻転生を繰り返してきた私達です。
赤ちゃんにとっても、今回の生死は過去の無数の生死の一つにすぎません。
たとえば今のあなただって、前世の記憶はないでしょう。
仏教では、かなりの修業を積んだ人は前世の記憶を思い出せると言われますが、大多数の人は前世を忘れています。
亡くなった赤ちゃんも、すでに新しい生命に生まれ変わって新たな生活をしています。
あなたのことなんかとっくに忘れている。
恋愛にたとえるなら、あなたは振った側。振られた相手(赤ちゃん当人)はあなたのことなんか忘れて新たな恋愛をしているのに、振った側のあなたが振ったくせにそれを引きずり、まだ相手は自分のことを愛しているはずだと思っているなら、それは思い上がりですよね。
浄土宗の場合は、極楽浄土に転生して仏様(悟りを開いた聖者)の見習い(菩薩様)に生まれ変わることを願って、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と念仏を称(とな)えます。
極楽浄土を造られた阿弥陀仏は、念仏する者を(善人でも悪人でも)極楽浄土に往生させると誓っておられるので、その誓いを頼りに
なむあみだぶなむあみだぶ
と念仏するのが浄土宗です。
罪を懺悔(悔い改める気持ち)し、こんな悪人でも極楽浄土に往生できることを喜び、先に亡くなった赤ちゃんも来世の来世くらいで極楽浄土に往生できるようにと願って、念仏してみましょう。
なお、念仏しているときに、さまざまな妄想雑念が頭に浮かんできても問題はありません。
それらは心の家を通り過ぎるお客さんであり、心の家主は「なむあみだぶなむあみだぶ」の念仏だ、どんな悩み苦しみも一過性の来客にすぎない、と安心してください。
質問者からのお礼
釋 孝修様
前回に引き続きご回答ありがとうございます。温かいお言葉をかけて頂いた事が嬉しかった反面、都合の悪いことを隠していた罪悪感で素直に受け取れなかった自分がいました。私の悪い部分も受け止めて下さったこと、本当にありがたいです。
前を向くのには時間がかかりそうですが少しずつ、赤ちゃんを慈しみながら生きていこうと思います。
願誉浄史様
ご回答ありがとうございます。私のことを忘れて新しい生命として歩んでる。とのお言葉で少し安心しました。
私の赤ちゃんは、辛かったことを忘れて次の道を歩んでくれているんですよね。
これからはお参りする時は赤ちゃんに語りかけるだけでなく、なむあみだぶつもしっかり唱えていこうと思います。
ありがとうございました。