宗教と酒
宗教を辞めるか、飲酒を辞めるかで迷っています。
私は、ある宗教の2世に生まれた男です。私は、中学、高校の頃は、ずっと宗教から離れていたのですが、20歳になってから、母が教会に通うように勧めるようになり、そこから再び、宗教と接点を持つようになりました。最初は、母は自分のためを思って教会に通うように勧めてくれている、宗教の教えは素晴らしいと思い、自分から積極的に教会に通いました。
しかし、社会人になる直前の頃に参加した勉強会で、班長から私の他の班員との接し方や考え方を全否定されたことを機に、教会の教えと信者の行動に矛盾を感じるようになりました。また、飲酒は禁止という教えも、「酒が問題なのではなく、飲む人の自制心の問題なのでは?」と思うようになり、父からの許可もあり、飲酒を解禁しました。
しかし、その後も母から同じ宗教の人と結婚するように言われ、何人かの人とお見合いをしてきましたが、みんな私と同様に信仰心が薄い様子で、何人お見合いしても結婚に至らず、中には、前述した勉強会の班長と同じように私の趣味や価値観を全否定して断ってきた人もいました。
そして、今年に入ってから離教の意思を固めつつあったのですが、先日、自分の所属する教会の責任者の方から温い言葉を頂き(その人は、下心ではなく、本気で私のためを思って言ってくれている)、一旦は離教の意思は薄れつつありましたが、その宗教で結婚するためには、「飲酒、喫煙をしない」ことを誓約しなければならず、私は、前述の考えや、先祖が酒屋で、先祖が酒を売って生計を立ててきたから今の自分が存在しており、飲酒を否定すると、自分の存在そのものを否定することになるのではないかと思い、それならばやはり離教した方が良いのではないかと再び思うようになってきました。
一方で、多くの信者の方々と関わり、嫌な人の印象が強いとはいえ、本気で嫌悪感を抱いたのはたったの6人のみで、それ以外は良い人ばかりで、酒だけのためにその人たちと縁を切ってしまって良いのかという気持ちもあります。また、すでに30代になり、収入も低いため、離教すれば結婚できる可能性が更に低くなるという懸念もあります(離教に対して寛容な父でさえ、「どのような形でも結婚はしておいた方が良い」と言っている)。
この場合、やはり自分の個人的な欲を抑えて
宗教に留まった方が良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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宗教は真理。人の考えが差し挟まる隙もない
宗教とはそもそも、集団や組織ではなく、人間本来の真理切っても切り離せないものを言います。
酒を飲んでも我を忘れなければ良いでしょう。私のようにアルコールが苦手な人は飲まなければ良いし、うまく程々にお付き合いしたら良いと思います。
結婚だって好きな人としたら良い。しなくても良い。互いに了承できたらよいことです。
人は裸で生まれ、自由な存在です。こうあるべき、こうでなければならないというのは、真理ではなく人間の作り事です。
人は良いことをしたら嬉しくなる。これも真理です。理由なんてありません。
もっと肩の力を抜いて単純に生きてみても良いと思いますよ。
質問者からのお礼
ありがとうございます。そうですよね。本来、宗教は人々が幸福になるたむにあるものなのに、それで人を縛り付けるなんておかしいですよね。もっと、自由に単純に生きて行こうと思います。