生きるだけで負けを自覚させられる
毎日毎日世の中に激しい怒りを覚えています。
就職して、仕事していますが、何も心境は変わりません。人生そのものを投げやりに生きています。今や高校生やカップルを見るだけで怒りが湧いてきます。
自分なりに頑張って生きてきたのに、なぜこんなに差が激しいのか。生き甲斐もないのに何故出社し続けているのか。
激しい怒りを抱えたまま日々を過ごしています。この怒りを忘れた日はないです。
そして誰も理解されない。本当のことを言ってしまえば、できるだけ多くの人間に死んで欲しいんですよ。自分の知り合い以外の人間なんてどうにでもなればいいんですよ。
世の中は自分のような人間を踏み台にして回っているし、散々自分を虐めてきた人間がなぜか良い思いをしている。
この社会の秩序を守る義理がない。
生きているだけで自分のような人間に軽蔑するような言葉が目に入ってくる。
許さないです。
人並みの幸せを享受できないのは、もう私のせいではないです。他責思考他責思考何回も聞いたし、世の中に蔑まれ、では今度は自分を責め続けろと。
娯楽で自分を傷つけているのだろうと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
厭離穢土 欣求浄土
拝読させて頂きました。
あなたがこの世この世界や社会に深く怒りうらみ憎しみを抱いておられることを読ませて頂きました。以前からのご質問から踏まえてあなたその様に深く思っていることはとても伝わって参ります。詳細なあなたのお気持ちや置かれている状況については全くわからないですけれども、あなたのその思いを受け止めさせて頂きます。
あなたがおっしゃる通りこの世の中は苦しみに満ちております。人が人をおとしめ傷つけています、人のものを奪いそして殺し合っています。
その様な愚かな世の中や世界や社会であることは間違いありません。ですからあなたがこの世の中を怒りうらみ憎しみを抱きのろいたくなるのももっともかと思います。
日本国内でも海外でも争いが絶えることはありませんし、無益な戦争が続いているのですからね。
あなたがそう思うのであれば「厭離穢土 欣求浄土」という教えを知ってみてもよろしいのではないかと思います。
「このよごれけがれたこの地この世をいとい離れて 仏様の清らかな安らかな浄土をこいねがい求めていく」という教えです。
平安時代からこの世は末法に入り正しい教えもすたれてしまい正しい教えを信じて覚りを開くことなどとうていできない、だからこそ仏様をただひたすら信じて仏様の浄土に往き生まれていきたい、そして何の憂いもなく迷いも苦しみも消え去り仏様の教えを受けて安らかに悟りを得ていく、つまり成仏していくことができるという教えです。「浄土教」の教えです。
もしかしたらあなたにとって今必要な教えや生きる道なのではないかと思いお伝えさせて頂きました。
よろしければどうかご参考になさって下さいね。
あなたがこの世をいとい離れて安らかに往生することできます様に心からお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏