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希死念慮との付き合い方

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有り難し有り難し 23

希死念慮との付き合い方について、お坊さんの視点からアドバイスをいただきたいです。

皆様のおかげもあり、生き方に対する姿勢は以前と比べ変わってきたように思います。

仕事でミスをしても、そういう人間なんだから仕方ない。

やりたいことができなくても、今はできる環境ではないのだから仕方がない。

自分ではどうしようもないこと、現在の自分の能力では解決しようのない問題に対して、あれこれ悩むのはやめました。

様々な点で悟りを得られたように感じます。

ただ時折、どうしようもなく消えてしまいたい気持ちに駆られます。それは、周りに迷惑をかけているなと感じた時や、仕事で何も成果をあげられていないと感じた時などです。

読んでいて矛盾を感じられたと思いますが、落ち着いている時には悟りを得られているものの、少しでも身体的に疲れている時や、周りに人が多く気を張っている時など、自分にフォーカスできていない時などに、なんらかのきっかけで悟りが崩れてしまいます。そうして、一度死にたいモードに入っていくと、しばらく悟りのモードに戻れなくなります。どうしようもない、と自分で自分を言い聞かせていた分、反動でかなり深いところまで落ちていきます。

この死にたいモードの時に、ふとした瞬間で死んでしまわないか、自分を信用できず怖いです。

またこのモードに入っている時は、とても苦しく、辛いです。周りに人がいても涙が出てきてしまい、隠し切れないこともあります。

どのようにしたら、この瞬間的な死にたいモードから脱出できるのでしょうか。

瞬間的とは言いつつ、数日続くこともあります。数年間うつ病と闘っていたこともあるので、また再発するのではと怯えています。生きていればいい、と言いますが、その生きていることが辛く苦しいのです。毎日、仕方がない、と言い聞かせて息しているわけです。希死念慮を抱く前の、定常状態の生き方についても問題があるのかもしれません。

2024年8月3日 22:11

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

開き直りは、諦めではなく、受け入れて次を見る姿勢なのです。

みんな、「あるある」だったりしますよ。
落ち込む時に、そういう人間とか、仕方がないと自分を下げるよりも、「ま、いいか。そういう時もあるわ」と、開き直りが自分を支えてくれます。

開き直りは、諦めではなく、受け入れて次を見る姿勢なのです。だから、自分が下がることもなく、前を見据えて、気持ちが自然と切り替わっていきます。

あなたが、死にたいモードに入っている時は、ハスノハに来てください。誰かが必ず答えますから、お坊さんと話をしましょう。一人で考えるよりも、毎日誰かとやり取りをしているほうが気が紛れます。ハスノハのお坊さんは、ポジティブな人が多いので、良き影響も受け入れやすくなりますよ。
どんな時も、仏様は一緒に生きてくださっていますからね◎

2024年8月3日 23:30
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有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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ご自分を褒めてあげましょう

お話しくださりありがとうございます。その気持ち、重ねて受け止めます。
あなたがここまで真剣に生きてこられた証が、今この言葉の一つ一つに映し出されていますね。常に現実と向き合い、その中で自分の心と向き合い続ける日々。確かにその道は険しく、孤独なものだったかもしれません。
悟りを得たと感じる時もあれば、ふとしたことで心のバランスが崩れてしまう。その繰り返しの中で、何度も生死の間を彷徨うような思いに駆られる瞬間がある。そんな時、自分が自分を信じられなくなる恐怖があること、痛いほど理解できます。
まず、あなたの努力とその中での思いを肯定したいと思います。様々な苦しみの中で、それでも今を生きている、その事実は非常に尊いものです。
「瞬間的な死にたいモード」から抜け出すために以下の点をお考え下さい。

1. 自分に優しくあること。
あなたは「仕方がない」と自分に言い聞かせてきましたよね。しかし、その言葉にどこかで自分を責める気持ちが含まれているかもしれません。もっと自分に対して優しい言葉をかけてみませんか。「よくやっているね」「こんなにも頑張っている自分がいる」と、自分を暖かく包み込んであげるような言葉を心に届けてください。

2. 小さな安らぎを見つける。
疲れている時、非常に苦しい時ほど、心と体を癒す時間を意識して取り入れることが重要です。お茶をゆっくり飲む、自然の中を散歩する、心地よい音楽を聞くなど、少しでも心安まる瞬間を探してみてください。その小さな喜びが、あなたの心の回復を助けてくれるかもしれません。

3. 呼吸と接する。呼吸は心を穏やかにする手助けになります。深呼吸を意識して、ゆっくりと深く息を吸い、吐き出す。その繰り返しを行うことで、少しずつ心の安定を取り戻すことができるかもしれません。「今、ここにいる」と自分を感じることが大切です。

4. 信頼できる人との交流。あなたの心の重荷を少しでも分かち合える人はいないでしょうか。直接顔を合わせることが難しいと感じる時でも、電話やメッセージでつながることができます。時には支えとなる存在に頼ることも、大切なことです。

あなたのその辛さと苦しみの中にも、必ず解決の糸口はあります。どうか、ここまで頑張って生きてこられた自分をもっと大切にしてください。その命の尊さを忘れずにゆっくりと進んでいけることを心より願っております。

2024年8月4日 11:12
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有り難し
おきもち

仏教の目的は、抜苦与楽と成仏です。 生きている人の苦しみをどうしたら癒せ...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。開き直り、割り切りがまだ上手くないみたいです。悪いモードに入ったら、またハスノハに来たいと思います。

落ち込みから抜け出すための4他の具体的な方法についてご教示いただきありがとうございます。実践してみたいとおもいます。

「希死念慮とのつきあい方どうしたらいい」問答一覧

希死念慮が強いです。

こんにちは。ちよと申します。 私はADHDで、双極症Ⅱ型を患っています。 現在調子を大幅に崩しており、ずっと希死念慮が消えなくて、実際に電車に飛び込んだらどうなるかなとか、大学の建物から飛び降りたら死ねるかなとか、考えてしまいます。実際にその場所まで行ったこともあります。 本当は死にたくないし、死んだら大切な人たちを悲しませるのはとてもよく分かっているので、死なないつもりですが、どうしても苦しくて、死んで全てを終わりにして開放されたいと思ってしまいます。 きっかけは、家庭教師の仕事で悪いことをした生徒を𠮟ったら、言い方がきつかったからもう指導に来なくていいと言われたことです。中1から指導をして、現在高3で、卒業まで見られると思っていたので、こんなことであっけなく指導が終わってしまうものなのかと悲しくて悔しくて、ずっと落ち込んでいます。 精神科にも通っていて、今回の落ち込みは異常だからと薬が増えました。念の為遺書も書きました。死にたいけど、死にたくないです。 なにか誰か私を助けてくれるものを探しています。 仏教の教えでなにかいいものがありましたら教えていただきたいです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 9
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長男の希死念慮

昨年からまともに小学校に通っていない長男。 それまでは学校の成績は優秀で、スポーツもそこそこ。友達もいます。いじめは、女子と少しトラブルはあったそうです。 今年に入ってから、「早く死にたい」と言うようになりました。 それでも、4月からは学校に行くようになり、6年生なので、児童会長にも立候補してなりました。(リーダーとかになりたがるタイプです) 学校に通ってるときも、夜になると「早く死にたい」と呟くことが多く、 6月中旬からまた不登校となりました。 長男が「早く死にたい」と呟き始めると、私は「長男は大切な私たちの子供なんだよ」「長男がいなくなると、じいじやばあば、お友達も、悲しむ人がたくさんいるんだよ」「お母さんは長男が大好きなんだよ」と宥めても、「嘘つけ!」と返してきます。 ちょっと放っておくと、自宅の2階の吹き抜けの手すりから降りようとしたり、包丁を手に取ったりします。それは流石に、怒って止めさせます。 父親は単身赴任でいないときは、目の前に住んでいる伯父に来てもらったり、 もしくは私の実家に連れて行ったりします。 それで落ち着きはします。 でも、私もイライラして無理やり抑えようとすると、長男もヒートアップします。 放っておいても、ヒートアップします。 長男のことを大事に思っていることはその都度伝えてはいるのですが、「嘘つけ!」「ストレスのはけ口にしてるだけだろ」と言われてしまいました。 確かに以前、子供達にキレて、長男の橋を割ってしまったことがあります。 弟たちもいるし、長男の対応に疲れてきました。 父親は、週末には帰ってきますが、伯父も不在で、私1人で子供と一緒の夜がしんどいです。 まだまだ忍耐でしょうか。

有り難し有り難し 25
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推し活で嫉妬します(再度、投稿)

改めて回答を頂きたく、再投稿します。 2023年に海外アーティストのライブに行きたかったのですが、チケットが取れず行けませんでした。 グループで活動するアーティストが、最初で最後のソロライブを開催し、日本にも来てくれたり、海外でライブを開催しましたが、ライブに行く希望は叶いませんでした。 そのグループは活動休止中で、来年活動再開予定ですが、チケットが人気すぎて、いつ会えるのか保証は全くありません。5年、10年は待つ覚悟はしないといけないくらいです。 チケットが取れず、もがき苦しんで自分の不運を憎み、行けなかった悔しさに心が荒み、当選した人を妬み、今でも思い出すだけで辛くて涙が出てきます。 人気のアーティストで、チケットが取れなかった人もいますが、自分の周りの9割は、アメリカや東南アジア、日本でのライブチケットに当選して現地に行き、ライブを楽しんだ話を今もしています。 私だって行きたかったのに、落選した人の悲しみや苦しみを分かってほしい。落選した人は当選した人より数倍も傷ついて、今でも苦しんでいるんだぞと、気持ちをぶつけたいです。 もちろん自分が当選したら、落選した人の辛さも分かりますが、当選した人が落選した人の分まで楽しむなんてことはあり得ないです。 ライブ中に、落選した人の分まで私は楽しんでいるんだわ!と思うことなんてないのが、その証拠です。 今でもこんな気持ちが蘇ります。もう2度と開催されないライブに行けなかった苦しみを、SNSに時々呟いていますが、今まで仲が良かった人(今回のライブに当選した人たち)は、これまでどおり接することもしなくなりました。 ライブに行けた人は勝ち組で、推しに声援やメッセージをうちわ等で直接送ることが出来て、熱気も味あえて、羨ましいです。 ライブの当落に勝ち負けはないと言っても、行けなかった人は結局、推しに会えない、メッセージも声援も送れない点から、落選したが負け組なのは事実です。 落選した人の声なんか、アーティストには一切届くことなんかありませんから。 グループ活動再開まで、当選した喜びに浸っている人と、会いたくても会えなくて落選した苦しみにもがき苦しむ私とでは、私の方が何倍も苦しんで傷ついています。 1年経って、少しは傷は癒えてきましたが、ちょっとした時にぶり返しています。 私はどうするべきでしょうか?

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なぜあんなに自分勝手だったのか

私には信頼できる友達がいて、家族との関係も良好であり、周りの人にとても恵まれていると思います。 私はおしゃべり好きではありますが、自分の意見を曲げずに押し通したり、思いやりのない行動はしないように気をつけてきたつもりでした。 しかし、以前付き合っていた方に対して、私はどうしようもなく自分勝手な言動をしていました。 当時は、相手が自分のことを好きでいてくれることに調子に乗り、自分の感情を優先していたのだと思います。 自分は相手に寄り添おうとしていなかったのに…です。 相手の性格や生活スタイルを考えずに連絡を強要したり、きちんと感謝していなかったり、自分勝手な言動を思い返せばきりがありません。 価値観の違いですれ違ったというより、私の身勝手で上から目線な言動に相手が耐えられなくなったのだと思います。 相手の気持ちや、そのときの状況を考えれば間違っていると誰にでも分かるようなことをしていましたし、相手には嫌な思いをたくさんさせてしまったと思います。 冷静になって振り返ると、自分で自分が信じられないです。 また、不安や寂しさといった感情をコントロールできなかったことも自分自身の弱さであり、そのような芯のない自分が情けないと思っています。 今は反省反省の日々なのですが、誰に対しても謙虚に思いやりをもって生活していれば、自分を変えることはできるでしょうか。 まとまりのない文章で申し訳ありません。 ご回答いただけますと幸いです。

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SNSでの誹謗中傷が長い間続いています。

あるSNSで複数人、グループのような形で仲良く交流をしてた人々がいました。(以下、ネッ友たちと記載させて頂きます。) そのネッ友たちとは約4年程交流していたのですが、ある日、ちょっとした事で喧嘩をしてしまい、いわゆる喧嘩別れをしました。 喧嘩の内容は、意識のすれ違いというか、 正直なところ、何故そこまで執着して責められないといけないのだろう…といった内容です。どちらに非があるのか、聞かれれば微妙な内容です。 喧嘩をした後は速攻アカウントを削除しネッ友たちから離れました。 それから2年後のある日、たまたまネッ友たちの内の1人のアカウントを発見してしまい、興味本位で覗いてしまいました。 悲しい事に、まだ私に関する悪口が沢山書かれていました。 過去の私の投稿や発言を転載し、揶揄する内容のものもありました。 会話のやりとりもあったため、察するに仲間内で盛り上がり、当時のメンバー全員で書いているのだと思います。 とても怖く、ショックであったため、もうそのアカウントは見ておりません。 お恥ずかしい話なのですが、当時、そのネッ友たちに自身の本名などの個人情報を伝えてしまったため、いつか個人情報をインターネットにバラまかれたりしないか?と心配で仕方ありません。 住所なども特定されてしまう、または既に特定されているのではないか?と余計な妄想までしてしまい悩んでいます。 自分の失態が招いた出来事であるのは勿論承知なのですが、デジタルタトゥーを残されることが特に心配なのです。 正直なところ、2年も誹謗中傷が続いているものですから、何をされていてもおかしくないと考えております。 現在進行形で悪口が書かれる事と、個人情報がインターネットにバラ撒かれないか、という不安で大変辛いです。 毎日、普通に生活していても、ふとした瞬間に書き込まれた悪口を思い出しては辛い気持ちになり、「今も悪口を言われているのだろう。」といった悪い思考に取り憑かれています。 どうしても病的に思い出してしまいます。 私は一生、この不安や憂鬱な気持ちと付き合っていく他ないのでしょうか。 どうすればSNSでの誹謗中傷を気にせずに居られるでしょうか? 何せ粘着されている期間が期間であるため、精神的に大変参っております。 どうすれば気にならなくなるか、または立ち直り方など、心の持ちようをお教えください。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ