タイミングが悪く、惨めな思いばかりします
もう本当にタイミングが悪い嫌なことが続いています。
今日は特にありえませんでした。
挨拶をしても無視する元上司がいつもはいるはずない所にいて鉢合わせ。やはり無視されました。しかも2度もばったり鉢合わせ。めったに合わないのに。
また、いつもはお菓子をあげることがしつこいおばさんが、私以外の仲間内だけでお土産だろうお菓子を配っていました。
いつも顔合わせたらしつこくお菓子渡してくるのに、今日はしら〜っとされました。
惨めで悲しくて仕方ありませんでした。
気晴らしにカフェに入ったら、そのタイミングで不愉快な動きをする客が近くに座りました。
もううんざりして、ケーキ屋に入り直し、いつもは食べない高いケーキをいただいていたら、ガラガラだったのに愚痴を大声で喋る中年女性集団が入ってきました。
もう惨めで惨めで辛いです。私は誰にも大切にされない運命なのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
みんな自分が一番。仏教に幸せのヒント
お釈迦様は、誰でもみんな自分が一番可愛いものだと説かれました。(だからこそ他人を傷つけたはいけないとも言われましました。)
だから、あなたを大切にしてくれるのはあなたご自身だけなのです。
ただし、ギブアンドテイクが成立するときにはそれなりに大切にされるかもしれません。
大切にされたいという望みはストレスの原因となります。
最初から大切にされたいと期待しなければ平気へっちゃなのです。
隣の席の客がどんな人だろあと、おいしいケーキをおいしく食べれば本来は幸せなはずなのです。
人を求めたり人を嫌ったり、人、人、人、と人を気にすると不幸な気分になる場合があります。
他人がどうだろうと、今・ここの1秒間に物理的な痛みはあまり無い場合は、実は幸せなのかもしれません。
貧困に例えるなら、相対的貧困と絶対的貧困の二つがあります。
衣食住は確保されていて絶対的貧困ではなくても、他の人の平均的収入より低いと相対的貧困を感じます。
つまり、他人を気にした途端に不幸な気分になる場合があるのです。
大切にされたいと期待せずに、自分一人で人生を楽しみましょう。
そして、仏教を学べばそれが可能なので、仏教を学んで見てください。
質問者からのお礼
ありがとうございます。他人をとにかく気にして気にしてしまいます。努力します。